私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第17話 (生産)技術 -カタログエンジニア - とは

2013年1月22日

     第15話でもお話しましたが、1970年代の末期から1980年にかけて私共トヨタグループの生産技術者は

     鈴村主査(当時)から「お前たちはカタログエンジニアだ。よその会社のカタログを見て、

     これは良き機械だと宣伝するだけではナイカ!  技術ヤならもっと行動せよ、

     口だけの宣伝なら技術ヤならぬ技述ヤだ!  もっと悪い奴は偽述ヤ(ウソを言う意味)だ!」

     と三河弁でノノシラレタものである。

      鈴村さんの自論は「(生産)技術ヤは生産現場のニーズを絶えず汲み取って、そのニーズ

     に必要なTOOLや設備を造り続けるよう行動すべき」というのもであった。

      また、一方では新車開発に必要な新生産技術開発も当然必要になってくる。

     当時は車両重量の計量化のために鉄製品からアルミへの変更、またはバンパー等に代表される

     プラスチックへの製品変更が数多く行われた。それに対応する生産技術開発も必要であった。

 

      この現場ニーズと開発ニーズに対応する生産技術はどうあるべきか、これが当時私共がよく集まって

     議論したテーマであった。(このテーマは最近でも多くの会社でよく聞かれる)

      (生産)技術なる用語は三枝先生(「技術の哲学」-岩波書店)によれば、アリストテレスの「テクノ」

     なる用語の翻訳らしい。

      「テクノ」をなぜ「技術」と翻訳したかは不明である。

     「テクノ」という言葉は現在では生産技術にほぼ合致するようである。(三枝)

     現在日本では「技術士」なる国家資格制度もある。(私も技術士の末席をけがしている)

      一方では「技能士」なる資格制度もある。「術」と「能」はどう異なるか?

     漢和中辞典(角川書店)で調べてもよく解からない、

      ある会合でこの「術」と「能」の違いを聞いたところ、人によって色々な考え方があるものだと感じ入ったことがある。

      ・「術」は普遍化で「能」は個別化

      ・「術」はワザの一般化で「能」は人間についているもの

      ・「芸術」はハイレベルで「芸能」は大衆芸

      ・大学卒は自分のワザを「技術」と呼び、高卒、中卒はその技を「技能」と呼ぶ

      などなど

 

      どちらも同じではないか。

     (もっとも前出の漢和中辞典には「技能」の解説はあったが「技術」の解説はなかった)

 

      「あの会社の技術レベルは高い(低い)」という言葉を昔から言われているのをよく耳にする。

     どの様な尺度で技術レベルを計るのだろうか?

      昔この質問を鈴村さんに投げかけたことがある。

     彼は「工場見学くらいで、神様ではあるまいし、すぐ技術が高いとか低いとか言えないヨ」

     「あえて言えば、そこで造っている製品の精度とそこの生産性と現設備を見て、

     他社と較べてどうだ、とは言えるわな。」

     「トランスファーマシンを使っているとか、MC(マシニングセンター)マシンを持っているから、

     と技術のレベルは関係ナイ。金があるかないかの違いダ。」

     「大卒技術ヤが多いとか少ないとか、これも技術レベルとは関係ナイワナ。」

 

     技術レベルの高低はあるモノサシを決めて、他社と比較してはじめて言えるものの様だ。

 

      最近、エコ、脱原発のせいか、太陽光発電の設備の売り込みが多い。

     確かに価格は安い。

     しかし、私は次の質問をする。

     「保証期間は何年ですか?日本のメーカーは10年ですが、御社もそれ位保証してくれますか?」

     すると相手はダマッテ引き下がる。

      どんなに安くても、良い機械でも、絶えずチョコ停と言って、停まったりしたら使い物にならない。

     メイドインジャパンは太陽光パネルでも自動車でも保証年月以上に保つ耐久性がある。

      後はコストダウン、それも全社的コストダウンを実行するのみである。

      大野さんは『「術」は行を求める』と呼んだ。技術はワザを手に行動を追求することである。

 

      カタログエンジニアになるナカレ。

 

      (近藤 哲夫)

第16話 機会損失とは

2013年1月08日

       機会損失(Chance Loss)という言葉はトヨタではあまり聞かなかったが

      食品会社ではしばしば聞いた。

       即ち、営業が売りたいにも関わらず、製造の都合でモノが無くなり売り損になる。

      会社としては売上げ減となり儲けが減少する(従ってこの儲け減は製造の責任である)

      というストーリーである。

      当時私は生産の責任者として、この機会損失を探ったことがある。

      その結果、分かったことは、

       ① 機会損失とは、ほとんどが事後でないと分からない。

       ② しかし、直前になって分かるのではほとんど打つ手がない。

            例えば、交通マヒ、注文間違い、想定外の事態発生の場合など。

           特に生鮮食品は在庫で補充するわけにはいかない。

       ③ 「機会損失」と言う言葉が、営業の予測逃れの言葉になっているケースが多い。

             例えば米国輸出の場合、現地の営業マンたちは想定外を不安視し

             多くの在庫を要求していた。

             在庫を冷凍にして積み増した結果、その在庫は数カ月後品質不良となり

             数百万ドルの損失を計上したことがある。

             この責任はだれか? 営業か生産か。

             これは議論しても仕方がない。

             もし営業の責任とすれば、営業は委縮し、売上げは確実に減少してしまう。

             このケースの場合には、ロスは生産側が負担し、在庫管理を厳しく行う様にした。

             いずれにせよ会社の損失になる。

             また国内の場合は、生産のリードタイムを従来の半分以下にし

             在庫0の受注生産システムに変更した。

       ④ 機会損失が発生する要因の一つとして、営業とお客様とのコミュニケーション不足にもよる

             ところがある。

            受注が電話・FAXから電送に変化し、営業マンは売上増大のため

            新規受注に駆け回るようになった。

            反面、既存のお客様とのコミュニケーションはなおざりになりがちである。

            その結果、お客様からの特急オーダーが、機会損失になってしまう。

 

       機会損失はよほど「想定外」のコストが発生しない限り

      お客様とのFace‐To‐Faceのコミュニケーションをある間隔で実行していれば

      ほとんど発生しないものではないか。

       「機会損失」という言葉が使われている場合は、今一度このお客様との

      コミュニケーションを調べてみてはいかがだろうか。

 

        (近藤 哲夫)

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