私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第59話 日本に本当に合理主義は根付いているか

2014年10月21日

第58話で述べた様に合理主義は「全て人間の為にある」。

故に「全て人間がコントロール出来るハズ」から出発して数百年が経過した。

18世紀のアメリカ独立、フランス革命を経て、合理化主義は更に変化し、適正競争から

不正競争へ、更にアヘン戦争の様に戦いの場で勝つことが合理主義となった。

また、19世紀は「長期固定」論がヨーロッパに起こり、ヨーロッパ人優位、白人有利が

一層声高く高まって行った。従って、黒人、黄人、赤人(アメリカンインディアン)

は「人間ではない」と考えられ、彼らに自由、独立の権利はナイと考えられた。

「人間=ヨーロッパ人」という図式が展開されたのである。

 

確かに初めは「アダムが耕し、イブが紡いだ頃、貴族はいたか?」というスローガンは

農民の自主、自由、独立と勤勉にとっては実に素晴らしい。

しかしこれが「商業合理主義」と合体することによって、

「何でもありの合理主義」

になってしまった。

 20世紀はその修正として。一部政府が規正する、修正資本主義が言われたが、1980

年以降、今日に至るまで規正を外す自由化、いわゆる「新自由主義」になってしまった。

これは「なんでもありの合理主義」の1例である。

私は合理主義を否定するものではないが、西洋人にとってのみの合理主義には抵抗を感

ずる。

「焼鳥」に西洋人にとっては非合理化も知れないが、食べると「うまい」ものである。

 

合理主義によって自然科学が生まれ、技術が生まれ、発達したことは人類にとって

最大のメリットである。

しかし「発展のパラドックス」(イアン・モリス)は発展すればするほどひどくなる。

大気汚染はその典型である。

先進国が悪いとか、今汚染を出している所も同じだから低減も同じだとかで少しもまとま

らないが、これは人類が今日の技術を使いこなす知恵がないからに他ならない。

どうせ人類が滅びるなら、やった方が勝ちという終末観だとすれば全く情けない。

 

合理主義を「何でもありの合理主義」からもっと道徳のある人道合理主義(私の造語)

にゆっくりと変換していきたいものである。

日本人ならこの人道合理主義が実行可能なはずである。

なぜならアジアで初めて合理主義を実践したからである。

 

1.なぜ日本がアジアで合理主義を実践出来たか ―会田教授の説

    (1)風土条件

      ・ヨーロッパの一年の変化が1日で巡る。天候条件に恵まれている。

        麓では桜が咲き、田圃は耕すが、山は雪が積もっている。

      ・土地が肥えている。農民は土地を良く手入れする。

      ・忘れた頃に地震、台風、冷害がやってくる。

      ・その結果3~4年の内、1回は1凶作になる。このときは努力は報われない。

      ・中国は3~4年の内、1回は豊作、他は凶作。

      ・南アジアは土地が肥え、太陽の光が多過ぎて、人間の努力と天恵が分離出来ない。

 

      日本及び中国は予測できない(18世紀以前)自然災害が発生している。

この時は全く神頼みしか出来なかった。だから祭を最大に行った。

自然をコントロールしようとは考えなかったのである。

しかし自然現象の観点から秋の冷害を予測したり、(二宮尊徳)台風の予想(210

日、渋川春海)したりするなど江戸中期頃から行われていた様である。

農民や漁民の経験の集積が徐々に「経験的合理主義」の土壌を育んだと言えると

教授は言っている。

 

一方手工業は日本では戦国時代から発展してきた。16世紀に鉄砲が種子島に伝えら

れて、13年後日本では30万丁以上も使われていたと言う。

また17世紀の日光東照宮の彫刻は当時としては世界トップと言われる。

また、大阪商人による北前船での北海道との貿易ルート開発などで商業合理主義が

少しづつ芽生えていった。

和算の発展では関孝和によって微分の発見寸前まできていた。

絵馬による数字の他流試合が江戸、京都などで盛んに行われていた。

大衆の水準も高かった。例えば江戸時代、フィリッピンから伝えられたアサガオは

直径4~5cmの花弁であった。それを江戸の園芸家によって改良、交配され

10cm以上の花弁にした。

明治の初め、モース博士が東京大学で進化論の講義をした時、生徒達がすぐに理解し

たのには驚いたと彼の著書に書いている。

(アメリカでは今でも進化論の講義をさせない州がある)

会田教授は、日本は江戸末期既に合理主義の配線は出来上がっていた。

後は電源をつなぎスイッチを押すだけであった、と言う。

また、多くの江戸末期に来日した西洋人が言うのには、

「今の日本に機械と石炭を与えればすぐに産業革命が出来る。ただ身分を固定した

  封建制度が悪い。(オールコック英国総領事)」と言うことであった。

しかし、身分固定も勝海舟、渋沢栄一の様に個人の能力と運によって道は少し開いて

いた。

 

2.日本人は本当に合理主義が好きか

  合理主義でも「経験的合理主義」は身についていると思う。

  しかし「商人合理主義」「なんでも合理主義」になると、多くの日本人はちょっと

  立ち止まるのではないか?   新自由主義を行っている人々は別にして。

  その理由の1つは「発展のパラドックス」である。

  例えば工場改善の場合、工場のある工程と言う一部の現場改善の場合、殆どの関係者

  は賛同する。

  これが、改善が進んで工場全体、会社全体になると、消極的反対になっていく。

  積極的反対であれば説得のやり方もあるが、表では賛成、裏では反対となるとやり切

  れなくなる。

  この様な場合はトップの出番になるが、

  「なんでも合理主義」はこの消極的反対が増えるのではないか。

  福沢諭吉の「福翁自伝」によると、

  「コンペティション」を「競争」と訳して幕府の役人に提出した所、

  「争うということはいったいどういうことか。」

  「ヨーロッパは争うのか、怖いところだな。しかしこの争いは穏やかではない。上司

    に見せるわけにはいかない。」

   と却下したそうである。

  「何事も穏便に」という当時の役人には「競争して勝つ」という考え方が理解出来なか

った。

「すぐれた民族が劣った民族を支配するのは当然」と言うなんでも合理主義にはヨーロ

ッパは怖い所、厳しい所であると言う言葉が出てくるのも当然という気もする。

 

 3.日本は恐ろしい

    芥川龍之介の「神々の微笑」によると、16世紀日本に来た宣教師オルガンチーノが言

った言葉が、「日本は恐ろしい」である。

「日本は美しい、礼儀正しい、従順だ。頭がものすごく良く、すぐ理解する。しかし

私は日本が恐ろしい。何か不思議な力が潜んでいる。・・・」

  それに対し芥川は老人に次の様に言わせている、

 「孔子も孟子も仏陀も受け入れて、ことごとく日本化してしまった。キリスト教もや

がては日本化してしまい、神々の教えの1つになっているだろう・・・」

 

私はこの芥川の意見に全面的に賛同する。

合理主義も新自由主義も全て受け入れる。そして日本流の人道主義と言う、ある節度

を保った合理主義へと変形させる融通無碍の精神力を日本人は持っている確信してい

る。

 

注)中国、インドにはなぜ合理主義が生まれなかったかについては省略した。

 

(近藤 哲夫)

第58話 合理主義はなぜヨーロッパで生まれたか

2014年10月08日

 1.合理主義とは

  先日、イアン・モリスの「Why The West Rules…For Now」を読んだ。

 博士の西洋と東洋比較は実に楽しかった。博士の結論は単純化すれば西洋は産業革命

 によって差をつけていた。AD550年から1550年まではむしろ東洋が進んでいた。

 イギリスで石炭を動力用として利用したことがきっかけとなり、蒸気機関まで発展した。

 そこまで行くのに多くの生産技術の進歩があったと言う。

  博士は社会発展を物理的要因の4つの因子のみで分析している。

 第1は人間の「エネルギー獲得量」 であり、第2は組織化の代用特性としての「都市化」

 であり、第3は「戦争遂行力」である。これはほとんど軍事費、機動部隊の数、核の数

 など計量可能なものである。第4は「情報技術」である。

 

 確かに前1万5000年から20世紀までの約17000年間の東西比較は計量比較で

 ないと納得はできない。

 しかし、これらの計量値は結果の値であって、「なぜ、現在西洋が世界を支配しているか

 の必要条件であっても、その値を出した時の人間の行動、それは猿の集団ではない、

 人間としての考え方に裏付けられたものであったに違いない。

 その考え方の1つは「合理的」ではないかと思う。そこで故会田雄次教授の

 「合理主義」を読んでみた。

  *この論文は会田有雄次著作集第9巻の中にある。

 会田教授の「合理主義」とは、

 「自然を、あるいは人間社会を支配しているのは合理的な法則である」と言う考え方

 ・「つまりこの世界には、我々を必然的な論理で支配する法則があり、それ以外の支配

   力 はない。だからこの法則を自分のものにすると我々も自然も変えることができ社会

  を変革させることが出来る。」という考え方である。

   確かにこの考え方によってNEWTONに代表される自然科学が発展し、フランス革命も

   発生した。

   この考え方は「神」も「仏」も姿を消している。

   しかし、世界は全て合理的な法則によって支配されているけれども、そこにはまだまだ

   説明出来ないこともたくさんある。

   その場合、無理にこじつけしないで、将来わかる様になるであろうと考えるのも合理主

   義である。

  神秘的説明や宗教的説明に頼らないという考え方である。

 

 

2.なぜ合理主義はヨーロッパに生まれ、成長したか

 (1)風土的条件

     ・地中海の海は「静か」で「道」には便利、しかし魚や海藻はあまり育たない。

       台風もない。

     ・川の洪水(ナイル川、ポー川)はじわじわと堤防を越える。一度にどっと押し流さ

       ない。

     ・北ヨーロッパは無視が少ない。

     ・松は真っ直ぐに上にのびる。風の影響が少ない。

     ・ヨーロッパの庭は丸や四角でシンメトリカル、これが自然。

       日本の庭は曲がった松、曲がった道、変形の池、これが自然。

     ◎ヨーロッパの自然は非常に穏やかで規則正しく変化する。

      「人間がこの法則を知りさえすれば自然をコントロールすることが出来る。」

      「自然は人間の奴婢である。山は征服されるべきものである。」

       礼拝の対象ではない。

 

  (2)略奪経済から農業化へ

     北ヨーロッパは10世紀の頃まで森林と沼沢地帯であった。11~13世紀頃から

    人々は沼沢に下がり水路を作って乾かし、森林を切り、畑の面積を広げていった。

    それ以前は狩猟と木の実の採集で生活していって、時々南に下って略奪していた。

    やがて畑を2倍にして働けば収入も2倍になることが分かってくると、この様な

    中で生活すれば自然と合理主義を肌で感ずる様になる。

    この様な2倍働けば2倍の収入になるという素朴な(?)考え方が、13世紀頃

    ヨーロッパに発生した農民の反対運動の標語「アダムが耕し、イブが紡いだとき、

    どこに貴族がいたか」に表れている。

 

    この頃ヨーロッパでは2圃制から3圃制になり、収入が増える。この3圃制から近代

   化が始まったと言われる。

  *2圃制は1年耕し、1年休む。この時家畜を放牧する。3圃制は1年目は冬作し、

    2年目は夏作し、3年目放牧。

 

  ・ヨーロッパの土地は痩せている。土地を冬と夏の2回耕して後は放っておく。

    実のったら刈り取るだけ。

    しかし虫は発生しないし水害も起こらない。

   家畜は食用、衣類用に使用し、畑の拡大により、家畜を増産し豊かになった。

   「家畜はあくまで人間のためにあるもの」という考え方が作られていった。

   牛は農作と食用、犬は番犬、鳥は良い音楽など、用途は神が人間に与えたものと

   考えた。(だから日本人が焼き鳥を食うのは野蛮だと言う)

   すべては人間の為(それも西洋人のため)に存在する、

   という考え方へと展開して行く。

 

 (3)商業的合理主義

     この様に農業から発生した合理主義は生活体験から生れた、身に付いた。

     いわば経験的合理主義と言える。

     この経験的合理主義は初期の工業社会にもあった。

     即ち、自分が生活している世界は合理的な法則が支配していると。

     しかし、自分の関与しない世界にまでその法則が貫いているかどうかは分からない、

     の2側面があった、

     従って、昼の世界は合理的支配があるが、夜の世界は分からない。

     あるいは魔女の世界かも・・・・といった2側面である。

 

     一方16世紀以降、ヨーロッパ人(ポルトガル、スペイン。オランダ、イギリスなど)

     が世界貿易に乗り出すと、「世界は全て合理的法則で貫かれている」と言う考え方が

     広まった。これを商業的合理主義と言う。

     更に進めて「社会の全ては合理的な法則が支配しているはずである。この法則を体得

     したのは我々なのだ(ヨーロッパ人なのだ)」と言う。なんでもありの合理主義

     (即ち不正競争、戦争、カルテル、トラストなど)になってしまった。

     さらに悪いのは「現実と法則が合わないのは現実が悪い」という考え方になった。

     例えばベットから足が出たら、足が悪いと切ってしまう話もあった。

    特にフランス革命ではそれが出た。例えば度量衡原器の1リットルは理屈の世界であ

    る。

    所が、1合は1口で飲み干すほどの容量という生活体験から来る尺度である。

     1リットルは上の人にとって都合が良い、世界中で同じだから。

     1合は日本では酒飲みの世界だけになってしまった。

     フランス革命はこの2つの合理主義の流れを無理やりに合体させたのである。

    

     この合理主義は東洋では西洋に押し付けられてしまった。

     西洋は19世紀の初めころから「西洋人は東洋人に較べてレベルが高い、東洋人は低

    い。」という東洋人軽視の風潮が起こった。有史以来東洋人は低いという、いわゆる

   「長期固定論」である。

   最近の科学は人類の殆ど全てはホモサピエンスの遺伝子を受け継いでいると解明し

   た。旧人の遺伝子は受けついでいないと言う。しかしそれぞれ心の中は分からない。

   国では人種差別反対と唱えても、態度は異なるという人々を大勢見ている。

  心から「人間皆同じ」でありたい。

  次はなぜ日本だけが合理主義を身に付けたかについて会田教授の節を紹介したい。

    

(近藤 哲夫)

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