私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第65話 「相手の立場」になってみれば

2015年1月27日

 改善を行う場合、まず「全体を見て」、「相手の立場になってみよ」、

「作業者の立場になってみよ」、「後工程、お客様の立場になってみよ」ということが良く言

われる発言である。

 「全体を見る」ことはこれまでの私のエッセイで私の体験を色々お話した。

しかし「部分」に集中すると中々「全体」は見えないものである。

「上空2000mから森を見よ」と言っても、聞く人によっては中々実感出来ない様だ。

将棋の世界では「4つの香車」を見よ、という言葉があるらしい。

自分、相手の4つの香車を見るということは、棋面全体を端から端まで見ることになる。

「全体を見る」ことを具体的に見るに正に適切である。

これをビジネスの世界について見ると、相手、即ちお客様、作業者、関係部署の立場にな

ってみる、のと同じではないかと思われる。

 「相手の立場に立ってみる」ことの1つが領土問題である。

現在(2015年1月)の最大の領土問題はロシヤによるクリミヤ半島併合だろう。

ウクライナ領土のクリミヤ半島をクリミヤ半島の住民投票によってロシヤ編入を行った。

この理由は「 クリミヤ半島はもともとロシヤ領であり、住民はロシヤ語を使っている」

とのこと。

「自国の領土」とは一体何をもって言うのだろう。

共通の使用言語? 共通の文化? 共通の民族? 共通の歴史?

一体 「ここは日本の領土である」と主張するのは何だろう。

「地下資源がある」 「魚場」という経済的理由からダケでは全く思考の貧困である。

 

 山本七平の『「領土」の研究』(文芸春秋 1977年6月)

(文芸春秋社「常識の立場」より)

を読むと現代においても示唆に富む事が多い。

例えば共通言語と言えばベルギーは北と南では全く異なるとか、

スイスでも北はドイツ語、南はイタリヤ語だった。

 民族問題ではスターリンはバルト三国を占領した時、そこに居合わせた住民を中部ロシア

に強制的に移し、替わりにロシヤ人を入植させた。

だから住民投票をしても、元居た人よりもロシヤ人が多い為、多数になるのは当然である。

 共通の文化となると、中国は唐、清時代、朝貢していた国々は中国の下で1つという

考え方があった。ということは、その中に入るのは全て中国の領土ということになる。

例えば朝鮮半島各国、ベトナム、沖縄などは中国の領土である。

日本が「尖閣諸島は日本の領土」と言っても、中国にとっては尖閣は沖縄の一部、

ゆえに自国の領土ということになる。

 領土について、我が国は「先祖の骨が埋まっている」、「日本人の魂が残っている」

など感情的感覚があるが、外国ではどうだろうか。

例えばソロモンは自国の領土をフェニキアに売却し、フェニキアから材木資材や

造船技術を購入したという。

またスエズ運河購入の資金調達にロスチャイルドのもとに赴いた首相のディスレリーは

「担保?」と聞かれ、即座に「大英帝国」と答えている。

日本の首相がたとえ冗談でも「天皇を担保に入れる」と言ったら大変なことになるだろう。

またアラスカはロシヤがアメリカに売ったものである。

日本の政府がある島でも売却したら、正に「売国奴」として大変なことになる。

 この様に「領土」についての考え方は国によって異なる。

しかし一致しているのは、例えばクリミヤ半島の併合でプーチンの支持率は80%台に

上昇したという位、国土が増えることはドコの国の民衆も大賛成で、時の政府はものすごく

支持率が上がる。一方取られた国の国民には敵愾心が拡大する。

 

 山本七平が昭和18年まで歌われた軍歌の一節を記している。

 「血潮を交(か)えし遼東に

  さまよう魂(たま)の叫ぶとき

  黄砂・白砂の風吹けば

  世は戦声の中なれや

  義戦の跡もはやすでに

  ・・・・・  」

 これは三国干渉によって、日本が清国より得た遼東半島を還付したのを歌った軍歌である。

(1895年)

この歌の感じは、他国に奪われた国土を悲しむと言った風である。

今から考えると「奪われた」のではなく、「取り損なった」だけなのに。

私が小学校(当時は国民学校)5年生のとき、国史(日本史)を教えられたとき、

その頃(1895年頃)は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉が流行したらしい。

 

 一方「ロシヤから見た日本」を見ると、日本はロシヤに4度も戦争を仕掛けた恐ろしい

に見えるらしい。

日露戦争(1904~5)、シベリヤ出兵(1918)、ノモンハン事件(1939)、

第二次世界大戦(1945)である。

特にシベリヤ出兵では英米は早くシベリヤから撤兵したが、日本軍は6ヶ月以上も

シベリヤに居座り、赤軍を悩ましたと悪印象をロシヤ人に与えてしまったという。

また北方四島にしても、日本とロシヤの千島・樺太交換条約(1875)によって、

日本が領有したものであって、もともと日本の領土ではなかった、と彼らは言っている。

ロシヤは1945年に「領土を回復した」と正当化し、日本は「敗戦により不当に奪取

され、1875年の交換条約は無視された」と憤る。敵愾心は益々増加する。

今日の調査ではロシヤが嫌いな国の第一位になっている様である。

 敵愾心について山本は、明治42年の内村鑑三の「敵愾心は亡国」という文を記している。

この論文を要約すると、「日本国を亡すのは敵愾心である。それによって敵も倒し、

自分も倒れる。何の建設的なことはない。それよりも、国を愛し、より建設的なことを

行うべきだ・・・」

ではどうすれば「相手の立場」になれるか

 

 将棋の世界では先ず第一は勝負がついた後、「感想戦」といってコマを最初から並べ返して、

反省と問題と善し悪しを振り返る習慣があるらしい。(『大局観』P131)

 このシステムは改善の世界に取り入れると面白いと思われる。

これによって「直感」が更に磨かれる様だ。

もう1つは「大逆転将棋」(P206)。これは盤面を自分が不利になったらひっくり返して

優勢の方につくというルールらしい。

 

 北方問題では、日本人が「領土返還」を沖縄返還の様に、返還することでアメリカが

メリットになった様に、ロシヤ側にメリットになる何かを考える時期に来ていると思われる。

 

「相手の立場になる」ということは本当に難しい。

しかしこれが出来る事により、改革・改善の成果をより多くの人々に提供出来るものと

信ずる。

 (近藤哲夫)

第64話 全体像は脳のどこで発生するか。

2015年1月13日

  第60話でも話したように羽生善次さんによれば「大局観」とは具体的に全体を見渡す、

上空から眺めて全体像がどうなっているかを見ることであると言う。

  これは大野さんの言う“森を見よ”“森を見ることであるべき姿が見えてくる”のと

全く同じであると私は受け止めている。

  最近『奇跡の脳 』ジル・ボルト・テイラー著 竹内薫訳 新潮文庫を読んだ。

  この本はテイラー博士という脳科学者が脳卒中になり、その瞬間から手術、そして回復

までの体験をリハビリ後に記述したものである。

  彼女はハーバード医学校よりマイセル賞を受賞するほどの脳神経の医者として活躍して

いたが、37歳(1996年)の時に脳卒中で倒れた。8年後に復活し現在でも活躍中であ

る。

 彼女は自分で脳卒中と自覚した朝、同時に幸福な恍惚状態で宙吊りになっている様に感

じたと言う。(P43)

言葉は出ないが、内部を覆い尽くした心理がより安らぎに取って代わっている。(P50)

CTにより左脳に出血があり、知覚は分類されず、細かい事にこだわることも無くなった。

左脳がこれまで支配していた神経線維の機能が停止したので、右脳が左脳から解放され

た。

 現在の瞬間にだけしか焦点が合わず、地上の肉体も失われ宇宙の中に溶け込んでいる

様であったという。

知覚は自由になり、意識は静けさを表現できる様に変わった。

もし仏教徒なら涅槃の境地に入ったと言うと思う。(P53)

体内時計が働かない所為か過去、現在、未来の振り分けも出来ず、短期記憶と長期記憶

を失った所為で、自分は「いま、ここ」を「流れていく」という感じだった。

外の世界は地に足がつかず、安全地帯ではなくなった。

 

 「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ個体の存在としても

自己を認識できません。自分が流体の様に感じる。

いつもは左脳は右脳より優勢なはずなのに、左脳が働かないので脳の他の部分が目覚めたのです。(P101)

 この本のいたる所で「流れている」という感覚が起こったことが描かれている。

「流れている」ということは宇宙と一体になったと感じることの様だ。

又、「静けさ」という表現も多い。

 これらは脳の他の部分(右脳もその1つ)の働きなのだろうか?

彼女はこの発見を「新たな発見(INSIGHT)」と呼んでいる。

「頭の中でほんの一歩を踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近付くためには、

いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。」(P176)

しかし知りたかったのは左脳の多くの機能(記憶、言語、支配など)を取り戻すために、

折角見つけた左脳の意識、価値観、人格などをどのくらい犠牲にしなければならないか、

という点であった。」(P215)

周囲から「まとも」と判断されるためには右脳の意識はどのくらい犠牲を払うことになる

のだろうか?

彼女の悩みは自分の発見(INSIGHT)を大切にしたい一方で世の中にも知らせたい気持

ちもあったと思われる。

 

左脳と右脳は一般には、

左脳は思考型の心、感情型の心 

で、これに対し

右脳は直感型で、感覚型の心

と言われている。

彼女の脳は彼女が判断するには、

左脳は「くそ真面目」「正、非、善悪の判断」「順序」「記憶」「完全主義者」

右脳は「冒険好き」「社交的」「言葉のコミュニケーションに敏感」「いま、ここに生きる」

          「宇宙と一つになる流れを気持ち良く受け入れる」「直感と高度な意識の源泉」

右脳マインドとは、「流れている、宇宙との一体感」からより大きな絵(心の像)に集中

出来る様になっている、

と言う。(P232)

 

「全体を観る」ということは、彼女の言う「右脳マインド」から発生している様である。

「全体像を捉える」とは左脳の評価、仮説設定などの通常「まとも」と言われる考え方を

一時休止するよう自分で左脳をコントロールすることにある様だ。

 

(近藤 哲夫)

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