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改善エッセイ

第97話 日本人はいつ頃生まれたか -3

2016年5月24日

  ③弥生人

    2500年前~1800年前の700年間位の時代の人々

    人口は中期には60万人、末期には220万人になった。

    それは

   (イ)河川平野が定住化、稲作普及拡大、集落規模大きくなる。

   (ロ)東日本にあった重心が海外貿易(半島と中国)の拡大により

         西日本へと移るが

   (ハ)土器文化の革新や金属文科の輸入

    などがその要因である。いわゆる“開国時代”である。

    それが後半になると人口の急激な増加により確執の増加、

    人間の多様化などでまさに“戦乱時代”となった。

    このことは“倭国の大乱”として魏志倭人伝に記されている。

 

   (1)“舟”の出現

     朝鮮海峡と対馬海峡にいわゆる「舟」で行き交う“海の道”

     が出来た。当時の舟は100人乗りだったらしい。

     かなりの大型だ。

     「舟」は北部九州や中国地方西部に入り、時代と共に

     瀬戸内海へと発展した。

     海外との交わりにより、日本列島のその後の歴史を

     方向付け、日本人の民族性を決める様に向かう契機

     にもなったであろう。

     「日本人気質」が醸成され始めたのもこの頃である。

     いわゆる縄文という“閉ざされた”“静かな”空間から

     “開国”“貿易”という“動”の空間へと変化したのが

     弥生時代である。

 

   (2)渡来系弥生人

     渡来系弥生人は北部九州、中国地方の日本海沿岸に

     集中したようだ。

     このあたりの人骨は他の地域の同時代の人骨に比べる

     といささか変わっている。

     むしろ大陸の同時代の人骨と類似性があると指摘さ

     れている。

     一言で言うと渡来系弥生人は縄文人の「鼻高と下顎骨」

     は認められない。

     平均身長は縄文人より4~5cm大きい。

 

    (3)倭国の大乱

     この時代の遺跡からの人骨には「殺傷痕」に刻まれた

     ものが多い。特に北部九州、中国地方日本海沿岸に多い。

     大乱に至った流れを推察するに

     (イ)水田稲作農耕による経済の発展

     (ロ)金属文科の導入により生産性向上と

         人口支持が大きくなる

    (ハ)更に渡来人の増加により、人口密度の

          特定地域での増加

    (ニ)その結果社会の緊張が高まり、敵対関係が強まる

    (ホ)やがては利権、領土拡大のための戦争となった。

     と考えられる。

 

 (4)古墳時代人

   古墳が出現するのはAD3世紀、最盛期AD5世紀、

   約1500~1600年前、終末期はAD7世紀である。

   この時代の人々は「日本国家成立前夜の人々」と言える。

   この時代は高貴人と庶民の階層化が進み、それが

   身体的特徴として表れている。

   庶民の平均身長は158cm(男)に対し、大型古墳

   例えば藤の木古墳の埋葬者165cmもある。

 

   庶民の骨格と顔立ち:縄文人や弥生人に見られる骨太さ

                       頑丈さは目立たなくなった。

  スリムで華奢、エラが少なくなった。

  顎の骨が小さくなり頑丈さが減じた。

  子供の頃に食物をガムシャラに咀嚼

  する習慣が減少したのではないか。

 

   倭人の時代は縄文人の時代から、後の日本人の時代へと向かう

   ターニングポイントとなった。

   日本列島人の身体的特徴が大きく変化した。

   また、階層性、地域性などが生じ、日本人“性”なるものも

   萌芽した。

   地域性では渡来人の影響が大きかった地域もあった。

   しかしそれが日本全体に影響を及ぼしたとは考え難い。

   渡来人の渡来数はせいぜい1万人程度であったと考えられる。

 

 「中世人」

  日本で律令制度が実施され、中央集権的な律令国家になった8世紀初頭こそ

  本物の日本人の時代が始まったと言える。

 

  人口は  550万人(750年)   奈良時代

                643万人(900年)   平安時代

                602万人(1150年) 室町時代

  中世とは奈良、平安、鎌倉、室町時代をまとめている。(片山)

 

  中世人の特徴

  ・背丈が低い

  ・頭が長い「戈槌頭」

  ・顔は丸顔

  ・口は「おちょぼ口」や「反っ歯」

  ・体系  男「小太り」女「ばちゃん」

  ◎これが「日本人の原型」⇔現代人は異端

 

  〇頭蓋長幅指数=(頭骨の横幅/頭骨の前後)×100

   即ち頭骨を上から見た型

   ~古墳時代「中頭型」   「戈槌頭」

   鎌倉~江戸時代「長頭型」 指数;74  「丸顔」の「寸詰まり」

   明治~現代 「過短頭型」 指数;85~90

 

  〇身長

   ・奈良・平安時代  男155cm、女145cm  (京都)

   ・鎌倉・室町時代  男160cm         (鎌倉 材木座)

 

 「近世人」

   江戸時代の人々の生活は慎ましいの一言に尽きる。

   米飯と焼き魚、野菜を具にした汁物と香の物が日常食で

   これが身体的特徴に表れている。

   人口:1227万人(1600年);江戸時代

 

   近世人の特徴

   ・背丈が低い:男158cm、女144cm (京都)

   ・頭骨 :頭部は長く幅が狭い 「戈槌頭」

            顔部は幅が広く、鼻骨は低い、丸顔で「寸詰まり」

   ・歯骨 :反っ歯、虫歯多し

   ・背骨 :「胴長短足」、6頭身

   ・体重 :MIで25.0を超える程大きい

 

   ・骨の鉛濃度が現代人に比べて高い、女性に高い、

     鉛白粉が原因と思われる。

 

   健康状況

   ・梅毒が猛威をふるっていた。1511年上方で大流行、

     1512年は江戸で流行。

   ・高齢者の骨は現代人以上に関節炎や骨粗しょう症が多い。

     運動不足と寝たきりになる人が多かったのではないか。

   ・虫歯は殆どの歯骨に見られる。

     歯磨きの習慣が無かったことと砂糖の消費の増加、

     調理法が洗練され軟弱な食物普及などで砂混じりのもの

     は食べなくなり、咬合面の溝がいつまでも残った。

 

   江戸時代の一生  ・・・サンプルは京都

   ・乳幼児(1~3歳)の死亡率は14%と高い(動物と同じ)

   ・80歳以上まで生きる人もすくなかった

   ・女性は20~40歳の死亡率が高い(出産による)

   ・男性は40~50歳で死亡率が高い(梅毒による)

   ・男性は女性より長生きの傾向にあった

   ◎平均寿命40歳 :現在の半分、その理由は乳幼児の死亡率の極端な減少

   ◎江戸時代の町人の55歳の時の平均寿命は15年で、現代と大差ない

   ◎「七五三」の祝いは母乳の不足による死亡、はしか、インフルエンザ

      などの病気を乗り越えた祝いだった

 

 「近現代人」

   明治、大正、昭和、平成をまとめて近現代人と呼んでいる。

   身分制や封建体制が無くなることにより多様化が益々進んだ。

   また都市化が促進され、ますます人々の移動が活発になった。

   その結果、通婚圏が拡大し、いわゆる「雑種強勢」の

   キーワードで説明出来る。(池田、京大)

   現代人(昭和、平成)は20世紀以降、男は12.9cm、

   女は11.1cm伸長した。

   その内訳は下肢の伸びがほとんどである。

   頭や胴は変わらないからスタイルは格段に良くなった。

   その原因は乳幼児期の栄養条件がその要因の様だ。

   乳製品の普及、離乳年齢の大幅な短縮など欧米人の

   成長パターンに近付いたのではないかと言われている。

   特に平成になって、欧米人のパターンとなって来た。

   そしてどの時代よりも個性が目立つ時代に入ったのでは

   ないかと言われている。

 

 「まとめ」

   縄文人は南から来たとか、弥生人は外来人との雑婚に

   よって生まれたといった、二重構造論が主として

   東京大学を中心に提唱された。

   それが骨考古学によって多くの疑問が投げられた。

   片山先生によれば、縄文人は日本で生まれ日本で育った

   最初の人々である。

   また弥生人との交代説は、縄文人がそれによって北の

   北海道と南の沖縄に移ったという仮説が必ずしも

   正しくないことが骨の出土で明らかになった。

 

  従来多くの日本人が頭に入っていたのは東大の先生が

  唱える仮説である。

  即ち縄文人は南から来たとか、二重構造論である。

  私も同様であった。

 

  この本を読みながら中学校、高等学校で教えられたことが

  先入観となって、無意識のうちに反論していた。

  この本は私にとって良い頭の体操になった。

             

(近藤哲夫)

第96話 日本人はいつ頃生まれたか -2

2016年5月10日

 ①旧石器時代人

  この時代の遺跡は本土には数多くある。

  しかし殆ど規模は小さい。

  更に人間を推定する人骨が本土では発見されていない。

  唯一発見されたのは沖縄の港川人だけである。

  港川人は9人分が沖縄島南端の石灰岩の採石場から

  全身の骨と頭骨が発見された。

  しかし最近の研究では港川人は沖縄人の祖先で

  太平洋に広がった人々(例えばフィジー人)の

  祖先はないかと言われている。(頭骨の分析から)

 

   この時代の人々は三々五々と北から、朝鮮半島から

   海退期に出来た道を歩いて本土に辿りついた、

   いわば本土は「ふきだまり」地であったのではないか

   と言われている。

 

②縄文人(新石器時代人)今から15000~2500年前、

  約1万年も縄文時代が続いた。

  この時代、地球は氷河期が終わり(今から1万年前)、

  海進期にあたり、日本の地形は現状とほぼ同じである。

  日本海に暖流が流れ出し、日本海側の土地に人が住める

  様になった。現在の日本と同様、四季があり、広葉樹林帯

  は北上し、旧石器時代とは全く様変わりした。

  人口も中期には26万人と増加した。

 

  (1)土器の発明

  「土器は第二の胃袋」として煮炊の道具、貯蔵用のコンテナ

  死者を埋葬する骨壷など、定住化のきっかけを作った。

  縄文は土器につけた飾り絵である。

 

  (2)縄文人はどこから来たか

  「南方起源説」が有力な仮説だった、しかし最近の研究

  (DNA分析)では朝鮮半島、中国東北部、中央アジア由来

   とする型が発見され、かなり複雑な歴史の帰結として

   縄文人が誕生した可能性を指摘している。

  

  次に考え出されたのは縄文人と弥生人との「大混血説」である。

   縄文人が北や半島、南からやって来て、弥生人を生み出した。

   だから弥生人こそ本当の「倭人」であるという説である。

   ところが弥生時代の人骨の出土を調査してみると下の通りである。

   

                  発見数            タイプ

   沖縄           10人分以上        琉球系

   南九州        約20人分          南九州系

   西九州        約20人分          縄文系

   北部九州     2000人分以上    渡来系

   西中国          200人分          渡来系

   その他中国   100人分          渡来系が多い

   近畿          20人分            複雑(混合)

   中部          5人分以上          縄文系?

   関東          10人分以上        縄文系

   東北           3人分                ?

   北海道       約50人分          縄文系

 

  このデータから見ると(このデータは90%以上が九州、中国からの

  出土であるが)東大派の唱える二重構造節は一部の地方には起きて

  いても、日本全体から見ると縄文人の系統が多い。

 

  結論から言えば(データに偏りはあるが)大規模な混血もなく、

  縄文人は1万年の期間、閉ざされて地形によって「静かに」

  生活していたと考えられる。彼らこそが日本人の基底を造った

  日本生まれの日本人であると片山先生は推挙している。

 

  縄文人は日本で生まれ、日本で育ったのである。

 

 (3)貝塚は「ゴミ捨て場」?

  どこの貝塚も広くて、穏やかな勾配の丘にあり、海の眺めも良い。

  三内丸山遺跡等はムラの中心部、神を祀る儀礼の場に貝塚がある。

  そこは単なるゴミ捨て場ではなく、集落の中心をなす生活空間で

  あり、儀礼の場としての集会場であり、死者を葬る墓所でもあった。

 

  (4)縄文人の骨相を探る

   ともかく頭のテッペンから足骨に至るまで「異形」の人々である。

   (イ)骨格:骨太で頑丈、下肢の走行筋、咀嚼筋

   (ロ)頭顔:寸つまりの大顔、前に突き出た鼻骨、エラが発達

              (下顎骨)彫の深い横顔、戈槌頭、おでこ顔

   (ハ)平均身長:158cm(男)145cm(女)

                   6頭身(現代の日本7頭身)

   (ニ)筋肉:下半身は女性も筋肉質

   (ホ)特徴:耳道骨腫多し。「サーファー耳」とも言われ海女さんに多し。

               一種の職業病

              歯が「異常咬耗」(食べ物の咀嚼による歯の磨り減り)

              歯を道具代わりに使っていた様だ。

   (ヘ)奇妙な風習:抜歯  理由不明、青年(15~16歳)への通過儀礼?

                     研歯  理由不明、タトゥーと同じか?我慢比べ?

 

 

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