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改善エッセイ

第75話 歴史認識について -2

2015年6月23日

74話では中国の100年の国恥の体験と、いわゆる選民意識と神話とトラウマの

CMTコンプレックスは切っても切れないものであることを説明した。

 また、CMTコンプレックスによって特に過去のその集団(または民族)の「選び取られ

た栄光」や「選び取られたトラウマ」によって、その集団のアイデンティティが

形作られてるいる様である。(P73)

アイデンティティの形成に歴史的記憶が果たす役割については原初主義、構造主義、

道具主義の3通りがある(P76)と言われている。

面白かったのは以下の文章である。

『人々は民族的憎悪を生まれながらに抱いているのではなく教え込まれたものだ』

『教科書は中立的で客観的事実を教えることを標榜しているが、実際は特定の信念の体系

を普及させ、既存の政治的、社会的秩序を正当化するための

イデオロギー的なツール(道具)(P79)』

なるほどなァー。

 

◎ 認識の「枠組み」について

 膨大な情報から必要な情報を早く取りだすために一般に我々は「認識の枠組み」というも

ものを使う。

この枠組みは多くの場合、信念、価値観、経験の上に作られていく。その中でも、民族また

は集団の歴史的記憶はこの枠組みを決めるほどのものである。

 民族は歴史的記憶というレンズを通して、現状を理解しているといっても過言ではない。

歴史的記憶は1つのアナロジーでもある。9.11同時多発テロにおけるアメリカの反応も、

12.7の真珠湾攻撃という過去と盛んに比較された。

 

 ◎歴史的記憶について

 歴史的記憶は、特に憎悪の記憶は電気回路の増幅器の様に増幅され、その民族の結束を強

めるものである。

苦痛に満ちた体験がいったん「選び取られたトラウマ」になると、その背後にある史実自体

はどうでもよくなってしまう。(P84)

歴史的記憶はナショナリズムに力を与え、その台頭に力を貸す。

政治指導者はしばしば歴史的記憶を利用して、自らの権力の正統性を強化し、利益を増進し、

ナショナリズムの精神を奨励し、大衆の支持を結集させようとする。(P86)

 

 ◎集合的なアイデンティティとしての歴史的記憶

 アイデンティティの定義については一致した見解は無い。(P87)

しかし、アイデンティティの内容については以下の様に4つに分類されるようである。

 

 1.集団のメンバー構成を決める基準(規範的内容)

   アイデンティティのこの側面は、どのようなメンバーが集団を構成するか、集団の利害

   は何か、集団のゴールや目的は何であるかなどを規定する基準やルールを明示する

 2.比較対照的な内容

   アイデンティティのこの要素は、異なるアイデンティティや別の集団との比較や対照の

   元になる

 3.認識のモデル

   アイデンティティのこの要素は、世界のあり方に対する集団のメンバーの解釈と理解を

   左右する

 4.社会的目的(目的を示す要素)

   アイデンティティのこの側面は、集団が果たすべき適切な社会的役割を明らかにする

 

この分類はハーバード大学の「アイデンティティプロジェクト」の研究発表による。

したがってこの内容も固定的ではない。

次の分類はワン・ジョン氏がこのハーバードの「アイデンティティプロジェクト」に基づ

いて、独自の枠組みを作成したものである。

  

集合的アイデンティティとしての歴史的記憶

 1.歴史的記憶の内容

  ①集団を構成する規律

    ①-1 分類化

    歴史的記憶の内容は、集団の属性やメンバーを規定するルールを明示しているか?

    例えば、集団を構成するのはどういう人々か? その集団のメンバーであることは、

    どのような意味を持っているか?

    ①-2 一体化

    歴史的記憶の内容は、集団の利害を明確にするのに役立っているか?

    ①-3 プライドと自尊心

    歴史的記憶の内容は、集団の自尊心、プライド、威厳のよって立つ土台となっているか?

    ①-4 役割としてのアイデンティティ

    歴史的記憶の内容は、集団のメンバーにふさわしい社会的役割を与えているか?

  ②比較対照的な内容

    ②-1 社会的比較と競争

    歴史的記憶の内容は、その社会的集団が自らをどの集団と比較すべきか、また集団の敵

    が誰かを特定するのに役立っているか?

    歴史的記憶の内容は、どこかの時点で、自分たちと社会的に似ている諸集団とのより

    協力的な関係に結びつくか?

    ②-2 社会的流動性と社会変動

    歴史的記憶の内容は、集団のメンバーの社会的流動性と社会変動の源泉になっている

    か?

   歴史的記憶の内容は、政治的指導者たちが大衆の支持を結集させるための拠り所となっているか?

  ③ 認識のモデル

    ③-1 解釈

    歴史的記憶に対する認識は、「集団のメンバーであることは世界の仕組み -ものごと

    の具体的な因果関係 -の理解や、集団の現状に対する理解と密接に結びついている」

    ということを説きあかしているか?

    ③-2 認識の枠組みと比較

    歴史的記憶の内容は、世界の解釈するための枠組み、レンズ、歴史的アナロジーを提供

    しているか?

  ④ 社会的目的

    歴史的記憶の内容は、集団の目的を規定しているか?

 2.歴史的記憶の寄与度

   歴史的記憶の内容は、どの程度まで集団内で共有されているか、あるいは逆に論争の的になっているか?

 

信念が行動を左右する三つの方法

  1.道しるべ

    ① 情報処理と意思決定

     歴史的記憶に関する信念は、紛争の現状に対する集団メンバーたちの解釈と判断に影

     響しているか?歴史的記憶に関する信念は、その他の要素やほかの選択肢を示す様

    な異なる解釈を排除し、選択肢を絞り込む為のフィルターとして働いているか?

    歴史的記憶に関する信念は、状況に対応するための政策の選択肢を制限、抑制、ある

    いは創出するために何らかの役割をはたしているか?

  ② 動機づけと動員

    歴史的記憶に関する信念は、行動の倫理的または道徳的動機づけを与えているか?

    政治的指導者たちは、人々が抱く歴史的記憶に関する特定の信念を利用し、大衆を

    動員して支持を得ようとしたり、ほかの集団への敵意を正当化したりしようとしているか?

    そうした信念の利用は紛争の悪化または軽減に影響を与えているか?

  ③ 方向づけ

    歴史的記憶に関する信念は、先行きの見えない状況において、ものごとの因果関係を

    明らかにして、行動を方向づけているか?

  2.調整

    ① 協力

    歴史的記憶に関する信念は、協力的な解決策を示す「模範点」となっているか?

    歴史的記憶に関する信念は、メンバーを連携させ、集団の結束を促すための「接着剤」

    として作用しているか?

    ② 紛争

    歴史的記憶に関する信念は、何らかの紛争を引き起こしているか、または紛争の調停

    と解決にとって難点となっているか?

  3.制度化

    歴史的記憶に関する信念は、政治機構に組み込まれているか?

    歴史とその記憶に関する信念は、制度化されているか?

 

この「信念が行動を左右する三つの方法」は人がある戦略を選ぶ時、必要十分な情報をすべて持ち合わせているわけではない、ことを示している。

従って人はその場合、個人の信念や観念が道しるべの役をしていると考えられる。

いずれにせよ“日本人の歴史認識”を考える場合、特に「集団的アイデンティティとしての歴史的記憶」、「信念が行動を左右する三つの方法」は十分に道具として役立つと思われる。

 

(近藤哲夫)

第74話 歴史認識について -1

2015年6月09日

先日、日経新聞の書評欄に

「神風」が吹いたのは真実か

というショッキングなタイトルが目に入った。

昨今はワン ジョン氏の『中国の歴史認識はどう作られたか』(伊藤真訳、東洋経済新報社)

が話題の中心であり、現在日中、日韓の歴史認識の違いが殆ど毎日、新聞紙上を賑わしている。

 「神風」神話がなぜ生まれたのか、興味津々で早速読んでみた。

『蒙古襲来』(服部英雄著、山川出版社)

これについて詳しくは次回以降のブログで書いてみたい。

 約500ページを一気に読んでみて、まず気が付いたのは、

よくもマア70年間も私はダマされ続けたものだ ということであった。

 ダマされたと言えば、終戦直後多くの中学の先生達は「ダマされた、ダマされた」と

教室で言い続けていた様だ。

私は当時中学1年だったが、我々は仲間と共に「ダマされた奴が馬鹿だ」と冷笑したものだった。

 しかし、自分が70年間もダマされ続けたことはまず反省すべきである。

そこでワン ジョン氏の『中国の歴史認識はどう作られたか』を再読し、歴史認識を私なり

に整理してみたい。

その後「神風についての日本の歴史認識はどの様に作られたか」を私なりにまとめてみたいものだ。

 私は歴史学には全く素人であるので、いわゆる“歴史認識”についてはワン ジョン氏の

説に従って話を進めていく。

 ワン ジョン氏は歴史学者ではない。国際関係論の学者である。

(私が理解した)ワン ジョン氏の“歴史認識”とは

1.歴史認識とは必ずしも史実ではない。歴史記憶である。

2.記憶され、語り継がれた歴史は、むしろ政治的、文化的に作り上げられた「物語」

  (ナラティブ)という側面が強い。歴史をどの様に理解し、エリート層が「歴史」を

   いかに作り上げたかである。

3.中国の現状に対しては、この本は抑圧された鋭い批判を投げかけているところがいくつ かある。

   このことから“歴史認識”について冷静な批判精神が投げかけられていると

  私は理解している。

 この本の原初のタイトルは、

“Never Forget National Humiliation” ―国家的屈辱に対しては決して忘れない―

中国では1840年~1945年(アヘン戦争から第二次世界大戦終了)の100年を

“国辱の世紀”と言っている様である。(勿忘国辱)

この本を読んで私なりにまとめてみると以下の様である。

  ① 史実 は当事者しか真実は解らない。

  ②書類遺跡は物的証拠になる。

  ③これらを国家としての方向性として小、中、大学の教科書に必修として学ばせる。

  ④記念館として国家の方向性に合ったものを造られる。これに神話が加わる。

 ⑤これらがTV書類と一緒になって、歴史的記憶として国民の「深層文化」「社会的規範」になる。

これが歴史的認識になる。          

                 

 ワン ジョン氏も言っていたが(まえがき)、日中間に横たわる問題は

“歴史的記憶の衝突”であると思う。

歴史的記憶が社会規範の1つになると「人々の思考や行動に根本的な影響を与える。」

 何故今日中国の多くの大学生、留学生が戦争体験がないのに熱烈なナショナリストに

なるかは、この歴史的記憶が“集合無意識”として植えこまれている。

それは小、中、大学まで“愛国教育”が必須科目として教え込まれている

からであるとワン ジョン氏は説く。

 

 国民のアイデンティティを形作る上で決定的役割を果たしているモノ

それは、

 選民意識 (Chosenness.)  と

 神話(Myths) と

 トラウマ(Trauma)

 が複合した心理構造(Complex)

即ちCMTコンプレスである、と言われる。

 

中国の場合をまず検証してみよう。次に日本の場合を検証したい。

中国人の「選民意識」:天下の中央の王国で暮らしている。

                     文化的概念と政治的意味合いを含む。

                     ;中華:繁栄の中心

                     ;周礼に則ることが文化のバロメーター

                       日本、朝鮮、ベトナムなどは師弟関係

中国の英光にまつわる神話

    文明古国:太古以来の文明国

    礼儀之邦:礼節と儀式の国家

    地大物博:広大な大地と豊富な品々

    四大発明:中国による四大発明   製紙法、印刷術、羅針盤、火薬

    燦爛文明:輝かしい絢爛たる文明

しかし、極めて多くの場合、中国人の歴史的記憶は

「選択的な記憶」と

「選択的な忘却」の結果である。(P36)

例えば鄭和(第1次遠征 1405年~第7次遠征1443年)は

「平和と友好の航海」と賛美されているが、実際はタイのアユタヤ地方やジャワを侵略した。

 

「国辱」の「トラウマ」

中国の現代史を根底から特徴づける「大きな物語」である。

しかしこの「中国人の心理に深く根ざした部分」は

アメリカ人には殆ど理解出来ない。(P38)

多分日本人も理解していないと思う。

外国による侵略や敗戦といった体験は、民族集団の

「選び取られたトラウマ」の重要な源泉となる。

恥辱の1世紀に被った外国による主要な侵略

第1次アヘン戦争(1840~1842年)対イギリス  半植民地化の第一歩

第2次アヘン戦争(1856~1860年)対イギリス、フランス

中日戦争(日清戦争)(1894~1895年)対日本

八カ国連合軍による(1900年)対イギリス、フランス、オーストラリア、アメリカ、

                                                             ドイツ、ロシア、スペイン、日本

満州侵略(満州事変)(1931年)対日本

抗日戦争(支那事変)(1937~1945年)対日本

 

多くの中国人にとって最大の屈辱は、この1世紀において

かつては朝貢国であり、従属国であった日本に対する敗戦である。(と彼らは認識している。)

朝鮮半島は中国にとっては忠実な従属国であった。

それも日本に取られてしまった、と思っている中国人が多い、(P47)

日本人の多くは中国人や韓国人がこの様に思っているとは思いもしないだろう。

まして、1931年9月18日は、中国人にとって最も暗い時代の幕分けとなった。

集合的記憶の中でも重大な日付けだそうである。

日本では柳条湖事件又は満州事変とかつては呼んでいた。

 ― 書きながら感じたのは、日本陸軍は正式に宣戦布告したモノを「戦争」と呼び、

     自分が勝手にやったものを「事変」と呼んだ様だ。正にブラックジョークだ ―

 多くの日本人にとって満州独立は、相手にとって全くの国辱そのものだったことを

思いもしなかったと思う。

自分の側の部分のみで考えると、今更ながら大変なコトだったなァ。

中国の歴史的記憶の中で、重大な日付けは1937年12月13日である。

南京大虐殺の日である。

30万人の犠牲が出た。(極東裁判では約25万人)

加害者は日本陸軍である。

 

 9月18日、12月13日は中国人にとって正に国辱の日であるのに対し、

加害者である日本人の多くは殆ど知らないのではないか。

全く残念である。

 

「神風神話」も同じで、1945年に小学校(当時は国民学校)以上の人々(1937年以前に出生の人々)は、

まず小学校で「神風は吹いた」と教えられる。これが当時の日本人の大方の

「歴史認識」となったのではないかと思われる。(私もそうだった)

幸い日本には、この神話を大いに吹きまくった人々の書類が残っている。

「神風神話」という歴史認識を創って、大いに利益を上げた集団がいる、

ことを忘れてはならない。それは中国も同様である。

それは「愛国心」を売りモノにして、メシを喰っている人々が居たし、今の居るのと同様である。

 

(近藤 哲夫)

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