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改善エッセイ

第77話 歴史認識について -4

2015年7月21日

日本の神風襲来は本当に存在していたか。

 ワン・ジョン教授が第74話で説明した様な(と私が理解した)方法で、「蒙古襲来」

(服部英雄著 山川出版社)を題材にして、私なりに“日本人の歴史認識”を探ってみたい。

 最近では余り使われなくなった“神風が吹く”と言う言葉は昭和期には多く使われていた。

 “神風が吹いて”会社の倒産の危機が、一挙に増益になったとか、“朝鮮戦争”(1950年6

月25日~)は日本としては“神風”だったなど数多く見受けられた。

(1950年は日本ではデフレの真っただ中、多くの会社が倒産した。しかし、6月以降は

軍需品が米国軍隊から大量に発注され生きづいたと言われている)

 

第二次世界大戦末期にはこの“神風頼み”が流行した様だ。

中学の軍事教練では、配属将校の訓示の最後は必ず“日本は神風によって必ず勝つ”

の言葉があった。

私共中学1年の仲間は、空母でも台風に負けるのか? と少し真面目に話していた。

この様に1945年当時の国民の大多数の歴史認識は

“神風は吹く”  と信頼していた様に思う。

 

①なぜこの様に信じたか?

ワン教授に見習って、国民のアイデンティティ(国民が国民としての考え方、思考習慣

のベースにあるもの)はCMTコンプレックスである。

第74話で説明した様に、CMTコンプレックスとは、

C :Chosenness :選民意識

M :Myths      :神話

T  :Trauma    :トラウマ

の複合した心理構造(コンプレックス)である。

私が考えるCMTコンプレックスとは、

C  :万世一系の天皇を持つ、日出づる国日本

M  :万世一系、単一民族

     1945年まで一度も外国からの侵略統治を受けていない。

T  :この第二次世界大戦ではアメリカに負けた。

     しかしその他の国には負けていないと思う心情(コンプレックス)

特にロシア、中国、韓国には負けていないと思う心情は今日でもヘイトスピーチなど

で顔を出している様である。

 Cについては、すでに聖徳太子(~622)が遣隋使を派遣(600年)した時に“日出づる国

 の天子・・・”と書いた様に、日本はこの世界で一番先に太陽が上がる国としての誇りを

持っていた。

Mについては、古事記(712年)、万葉集(720年)と、1300年前に既に神話が紙に

書かれて存在していた。

蒙古襲来が1274年と1281年であり、730年以上も昔であり、新しい神話になっても

不思議ではない。

特に国民の歴史認識を協力にある方向に推進したのは戦前の国家としての方向性である。

その方向性とはファシズム、ナチズムに同調する“軍国主義”の方向性である。

特に小学校、中学校のテキストは正に“愛国”を基調とした“全体主義”そのもので

あった。

そこにあるのは一部の軍人、官僚、政治家、実業家による独占と利益の共有、他に対する

強圧的命令が行われていた。

今日でも“愛国”の言葉を聞くとゾッとする。

“愛国”を命令した者で戦前、戦後、自殺した高級軍人は1人も居ない。

政治家では近衛文麿元首相くらいである。

私も中学1年で陸軍幼年学校を受験した時は、面接時に忠君愛国について聞かれた。

その時 醜(しこ)の御楯  になります  と答えたのを今でも覚えている。

あれから既に70年、あの頃軍事行進で歌った歌を今でも覚えている。

  万朶(ばんだ)の桜か襟の色

   花は吉野に嵐吹く

   大和男子と生まれなば

   散兵線の花と散れ

 

中国共産党が1980年労働党の前衛の党から全国民、愛国者の党に変身した時、

誰の利益になったか

それは現在の習政府が行っているのを見れば良く解かる。

自国を愛さない人間はいない。しかし、その愛は自分の郷土の愛である。より具体的な

山、川、自然への愛である。日本という抽象的なモノではない。

私はこの抽象性が全体主義を産むと考えている。

 

②1274年(文永の役)の元軍との戦争

この時の戦を教科書は

“文永の役” は1日で終わった

それはその夜嵐が来た多大の被害を受けた

これを書いている本は1つしかない。他は書いていない

その1つとは  “八幡愚童訓” のみである。

この本にも嵐が来たとは書いていない。(P97)

この本は八幡様をPRするための子供用の本、即ちPR雑誌である。

このPR誌が後の教科書に記載される程の1級資料となったのである。

誰がそうしたか?

その前にこの「八幡愚童訓」を見てみよう(P97)。

『・・・夜中ニ白装束ノ三十人計、管崎ノ官ヨリ出テ、箭鋒ヲ整エテ射ケルガ、・・・

  波ノ中ヨリ猛火燃エ出タルト見倣シテ、蒙古、肝心ヲ迷ワシテ我先ニト逃ス・・・』

白衣の紙が30人弓矢を射がけた。蒙古人は恐怖で我を失った。管崎が燃えているのを

海が燃えているとみなして、逃げた。

 

嵐になったのはなぜ

文永11年10月20日は現在のブレゴリウス歴では1274年11月26日になる。

雨が降った様だが風が強かったかどうか。

少なくとも台風は時期的にも発生しにくい。

寒冷前線が通過したかもしれない。(P163)

いずれにせよ。いつの間にか法力による嵐へと拡大していった。

 

なぜ八幡愚童訓が造られたか?

最大の理由は文永の役で元軍が上陸して、まず焼いたのは管崎八幡宮である。

本来、日本を護るべき八幡様が最初に焼失してしまった。

御利益はナイのかの風評が一番恐れられた。

そこで幸いにも文永の役は1日で終わった。(蒙古は偵察に来た)

これを幸いとして物語が出来た様だ。

一方で天皇家を巻き込んで『勝利は神仏の法力』にするため西大寺叡尊(恩円上人)と

共に八幡愚童訓が出来たのではないか、八幡愚童訓には恩円上人による石清水八幡での

祈祷が賛美された。(P448)

 

祈祷によって、その法力で蒙古は退散した。

 

命がけで戦った武士は白々しく思っただろう。(P448)

又逃げ帰った蒙古側も嵐による退散、それも法力による風によっての退散は良い口実に

利用された。(P452)

フビライの願いは日本との交易により、火薬の原料たる硫黄や、金、水銀、真珠、米を

得たいと考えていた様である。

当時、日本にはこれらの交易は南宋との間で行っていた為フビライの願いを拒否した。

鎌倉幕府は戦賞冗費を強いられ、苦境にあった。又武士に対する恩賞地が少なく、不満が

高まっていく。そして30年後には滅ぶ。

弘安の役(1281年)については省略したが、これは商船を軍艦にしたため(江南量)、

船が大風に弱かった様だ。

弘安の役は弘安4年6月7日で現在のグレゴリウス歴では1281年8月29日で、この

季節は台風が吹いていてもおかしくない。

 

この本では色々な点で認識を新たにした。

例えば「世宗実録」(1419年)によると、

対馬は我が国の高麗の地の1つである、往来が困難で遠く狭い。それで倭奴の住むのを

許している。

とある。また、

対馬は慶州に属す

とある。(P462)

文永の役、弘安の役でも高麗側の資料では対馬は自領とみなしていた様である。(P464)

 

(近藤哲夫)

第76話 歴史認識について -3

2015年7月07日

◎中国の歴史認識を考える場合のいくつかの条件

  地政学的条件

   西は無限の砂漠という防塁

   南西はヒマラヤ山脈がそびえ

   東は広大な海洋

   北は乾いた高原地帯で「野蛮人」が住む

 中国人は、自分達は「天下」の中心である王国に住んでいると信じた。

 この場合「天下」とは、

  ①“文化的”に規定された共同体

     共通の文字・・・「漢字」共通の文明(それも最高の文明)

  ②国境がない・・・国境がはっきりしていない

     その領域は“中国の伝統的な原理原則に対する知識を持ち、実践している人々のいる範囲”

     従って3000年の間にいわゆる蛮族が漢人に同化された。

  ③「天下」には中国こそが唯一の文明であり、対等として並び立つ国家は認めなかった。

     ・・・イギリスを当初は“対等”と認めなかった。

  ④「天下」の思想は文化、道徳、調和等の「ソフトパワー」を重視した。

     ・・・西洋型は軍事、経済、競争と言った「ハードパワー」

 

  ナショナリズム:西洋では一般にはフランス革命(1789年)によって起こったと言われる。

                :中国では日清戦争(1894~95年)によって、いわゆる“4000年の夢

                  から目覚めさせられた”と言われる。

 

 ◎中国のナショナリズムは「天朝の住民」から「亡国の民」に落ちたこのギャップが強力

   な推進力となった。

   従ってこのギャップを感じる人々、主にインテリ層 -中国層 によりナショナリズムが

   盛んになった。

     魯迅・・・作家「納喊(とっかん)」      孫文・・・「新文化運動」

     (この二人ははじめ医者として日本及び米国に留学)

   1919年(54(ごし)運動)中国の学生による初めてのデモ・・・21カ条要求反対

   国民党も共産党も国民を動かすために最初にナショナリズムを選んだ。

   (いわゆる帝国主義反対、不平等条約反対)

   しかし、毛沢東は1949年には“農民、労働者の前衛の党” - 共産党 へと衣替えした。

   毛沢東時代いわゆる“国恥”(日中戦争)は無かった。

   1937年共産党軍は約3万人、これが1945年には100万を超えた。

   日中交渉(1972年)の席上、毛は田中角栄に対し“日本の中国侵略によって、国民軍を

   日本軍がやっつけてくれたおかげで我々が政権を取った”と半ば皮肉で言ったという。

   この8年間は毛にとっては“党の拡充70%、国民軍へ20%、日本軍10%”といった位

   党勢拡充に努力したと言われている。

   

 ◎1980年代の中国共産党が直面した危機  -三信危機

     社会主義への信心(信念)、マルクス主義への信仰、共産党への信任、天満門事件

     (1989年)に対し“党としての新しいイデオロギーを出せなかった”即ち共産党の天命は

     尽きた。“天安門は三信に対しNOを衝きつけた”と言われた。

 

 ◎“三受”運動  1982年   【党を愛し、社会主義を愛し、祖国を愛そう】

     1991年8月公太区民による愛国主義教育スタート、幼稚園児から大学生まで、中国の

     近現代史をベースとした歴史教育の徹底、例えば大学生は必須科目へ、その代わり

     毛思想、マルクス思想は選択科目になった。

 

 ◎中国政府は公言こそしなかったが新しい政党化したイデオロギーとしてナショナリズム

     志向したことは当然の帰結と言える。

     その結果、毛時代は「勝者の物語」から1992年は西洋、日本の所為による「被害者の

     物語」へと変わった。

 

 ◎中国の愛国教育の場としての「教育基地」 ;博物館、モニュメント

      国家レベルの教育基地  →  “国恥の制度化”

     対外紛争  40箇所 ;対日20、アヘン7、朝鮮4

      国共内戦  24か所

      神話      21か所

      英雄      15か所

     その他省レベル、県レベルの基地は多数

 

 ◎江沢民による“静かなる革命”は成功したと言える。

     イデオロギーの変更、党のルール、規範の再構築、党員のメンバー構成、役割、使命

      の再定義を行った。具体的には表―4の通りである。

  

  表―4

 ①分類化

    歴史とその記憶の内容は、集団のメンバーやその属性を規定するルールを明示してい

    るか?

     ・「中国共産党は最も断固たる徹底した愛国主義者である」

     ・「共産党の責任と指導的立場は過去一世紀の歴史が党に託したものである民族の独

        立 と国家の主権を守るための奮闘の中で、党は最大の犠牲を払い、最大の貢献を成

         してきた。中国を発展させ復興させることが出来るのは党のみである」

 ②一体化

     歴史とその記憶は、集団の利害を明確にするのに役立つか?

       ・中国共産党は中国の国益の守護者である

       ・貿易、安全保障、領土などの中国の物質的な利害関係に比べて、民族の尊厳、体

         面、他国からの尊厳など、歴史とその記憶に基づく非物質的な利害関係も同等また

         はそれ以上に重要である

 ③誇りと自尊心

      歴史とその記憶の内容は、集団の自尊心と神話に関わる要素となっているか?

       ・「われわれは西洋の列強諸国によって中国に押しつけられた不平等条約と中国にお

          ける一切の帝国主義的特権を廃止した。われわれは中国の近代以来の屈辱的な外

          交の歴史を徹底的に終息させ、国家の主権、安全、そして民族の尊厳を力強く守っ

          た。社会主義中国の国際的地位と国際的影響力は日を追うごとに増大している」

 ④果たすべき役割

       歴史とその記憶の内容は政権政党である中国共産党に果たすべき適切な社会的役

       割を与えているか?

        ・政権政党として共産党が果たすべき2つの主要な役割は、「過去の恥辱の終止符を

          打つ」 ことと、民族のかつての栄光を取り戻し、「国を大いに復興させること」である。

 

 ◎何故オリンピックの金メダルに拘ったか。

  「選び取られたトラウマ」から「選び取られた栄光」へ

  「東亜の病夫」から「スポーツ王国」へ

  長年来の劣等感から欧米人に負けない体力作りへ

 

 ◎集団主義者としての中国人への誤解

  集団主義者の文化+東アジア、ラテンアメリカ諸国の特徴

 

 ◎個人のアイデンティティは所属する集団の心理的傾向に深く根ざしている

  例えば ・自分の評価は集団の他のメンバーと密接に関連づけている

         ・集団の内と外の間に一線を画する

         ・集団内では調和を重んじ、外部からの批判に対しては集団または国を擁護する

  ・聖火リレーの妨害に対し何故対抗デモが発生したか。

     欧米人(含む日本人) :個々の活動家がやったと映る

     中国人               :欧米人は(全て)中国人が嫌いだと映る

                          (我々は威厳が傷つけられた)

  ・国際的放送メディアが欧米では何故多様な意見を伝えているか、解からない。

 

 ◎中国で広まっている「アメリカ陰謀説」

    「アメリカは中国の領土を分割し、政治的に転覆させ、戦略的に封じ込め、経済的に挫

    折させる」というマスタープランを持っていると多くの中国人は思っている。

    全てが“陰謀”と見られている。かつてはソ連を崩壊させ、次は中国を狙っていると考

    えられている。

    例えば1999年5月のユーゴスラビア中国大使館誤爆事件でも、クリントン大統領は

   「誤爆」 -システムエンジニアの修正ミス-として5回も謝ったが、中露首脳は陰謀説

   を固辞し、中国の主な都市でデモを組織した。

   この事件の数ヵ月後北京の大学生を相手に調査した所、75%が米国政府の計画的実

   施だったと信じている。同様のアンケートをハーバード大学に留学している中国人学生に

   行った所、ほとんどの学生がアメリカ政府の意図的だったと信じていると言ったという。

   毎日の様にアメリカの新聞、ラジオ、TVを視ている中国人学生ですら北京に住む中国人

   学生と同じ反応を示した事に、ハーバード大学の教授達は驚いた様だ。

   中国人のこの「制度化されたアイデンティティ」は欧米人には理解不能の様である。

   日本の場合も同様で、日本が戦時中に起こした多くの事件について謝罪が少ないのが

   ― それによって面子がつぶされ、自尊心を奪われてた ―最大のハードルの様である。

   過去の暴挙に対し、正式に、キチンと、首相が謝るのが日中関係改善の第1ステップで

   あろう。

 

(近藤哲夫)

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