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改善エッセイ

第79話 歴史認識について -6

2015年8月25日

これまでは、中国及び日本の歴史認識について述べてきたが、今回は韓国の歴史認識に

ついて少し考えて見たいと思います。

 

私には多くの韓国人の友人が居る。また通い慣れた町もある。GUMI(クミ、龜尾)の

町には7年前から毎月行っていた。またMERS症候群で一躍有名になったピョンテク

(平沢)の町も懐かしい。この2つの町にLG電子の工場がある。

友人の中には今でも韓国から電話してくる人々も居る。5月の下旬(まだMERS症候群

が騒がれていなかった頃)イジョンにある1つの工場を診てほしいとのことで1泊して

来た。その時の通訳は懐かしいサニー嬢である。彼女の同時通訳は素晴らしく、私が

言わんとすることを事前に察知している。本当に素晴らしい。友人の多くは日本語で会話

出来る。また日本の数多くの景勝を見物している。GUMIにある会社の社長である

イさんは日本の殆どの温泉地を奥さんと共に廻り歩いたという。

私にとって韓国の人々は実に話していて楽しく、また打ち解けた関係の人々である。

 

今日、日本では「韓国叩き」やヘイトスピーチで「嫌韓」が大流行である。また、それ

らしい本も本屋に行くとずらりと並んでいる。それに連れてか4~5年前、飛行機の

私の座席の周りは大勢の日本人が居たが、最近は少なくなっている。

韓国観光公社によると、日本人の訪韓は2010年に比べて2013年は21.9%減

の275万人になっている。一方、韓国からの来日は、2013年は前年に比べて

20.2%増の246万人になっている。全く逆になっている。

韓国でも「嫌日」はあるらしいが、私は50回以上訪韓しているが一度も会っていない

様だ。しかし日本人の嫌韓と韓国人の嫌日は字が同じ「嫌」をつかっていても、どうも

異なる様である。なぜか?

少し長くなったが今日でも私は「韓国人の友人は大好きだ」とはっきり言える。

今日(2015年6月23日)は、日韓国交正常化50周年の翌日である。日経新聞に

よると、両政府が開いた式典は祝賀ムードに包まれた様だ。1965年10月パク・

チョンヒ大統領によって結ばれた。正常化から、娘のパク・クネ大統領へと50年が

経過した。彼女がなぜ頑なになっているか。それは「親日派とされる親父の子だから」

との意見が多い。一方、安部首相も対中政策で見せた熱意は韓国に対してはあまり感じ

られないという。一体日韓関係はどうなるか。

 

参考文献

①哀しき半島国家 韓国の結末   宮家邦彦    PHP新書

②韓国「反日」の真相          澤田克己    文春新書

③外交ドキュメント 歴史認識   服部龍二    岩波新書

④文藝春秋 7月号         (佐藤優)    文藝春秋

 

①の著者は元外交官である。彼はTBSで時々出演されるが真に歯切れが良く、論理的

である。特にグローバルな知見からの地政学的アプローチは素晴らしく共感する。

②の著者は現毎日新聞の記者である。韓国に留学経験もあり、また記者として2度も

ソウルに駐在している。

③の著者は大学教授である。専門は外交史である。面白いのはインタビューである。

④は7月号に「中、韓、露の歴史教科書を読む」佐藤優  118頁~132頁

これを読むために購入した。面白い。全く「歴史教科書は政府の道具」だ。またそれぞれ

の国の特色も出ている。

 

①②③④を読んですぐに頭に浮かんだのは「いい加減にしろ」という言葉であった。

一方で自分が韓国の表面のごく一部分だけを知り、韓国の歴史、地勢的ポジション、それ

から来る韓国人のトラウマ、深層の心理を知らなすぎた。

③の従軍慰安婦問題(P90~P137)を読むにつれ、日本政府は本当に歴代の首相

が「おわび」をしている。

1990年       海部首相  ノテウ大統領来日の際におわび

1992年1月   宮沢首相  韓国国会で謝罪

          7月   加藤官房長官談話   政府公式文書として

1993年8月   河野官房長官談話   政府公式文書として  「強制性」を認める

         11月  細川首相      慶州にて大統領に謝罪

                               日本の首相が初めて「侵略戦争」と明言

1995年7月   村山首相     国の協力のもとに民間組織「アジア女性基金」を設立

                              韓国、台湾300万円/人の補償

フィリッピン120万円/人の補償

                              韓国は反対、他は全て協力

                              なぜ反対するか?(現在韓国では殆ど知られていない)

 

パク大統領は国家保証をしない日本を「正しい歴史認識がない」として、他国に対して

いわゆる「告げ口外交」を行っているとして、日本では彼女を非難する。

なぜ慰安婦を何度も言い出すか?

日本ではすでに1992年に終わっている。公式文書もある。しかし慰安婦については

個人補償を受け取らないようにするのはなぜ?

読みながら感じたことは、韓国人のトラウマであった。

それは日本人には理解できないことであると思う。

◎集合的アイデンティティとしての歴史的記憶

ワン・ジョンさんの歴史的記憶の内容としてエッセイ75話で書いた様に、集団を構成

する基準として4項目を挙げている。それは民族としての誇り、プライド、一体化、

役割である。

・対日本

被害者意識を深く心に抱いていると多くの識者が伝えている。

仕事で台湾に行くたびに聞かされたのは日本による素晴らしい統一だったと。一方で国府

軍による略奪はひどかったらしい。

一方、韓国に仕事に行くと、昼間はきびしい質疑、すぐ答えを求める態度、「自分で一応

考えてみよ」と言うと、ハングルで何かを言う。

夕食時にそのハングルの意味を聞くと、「日本人は35年も植民地支配をしていたのだか

ら、その代償として答えを言うのは当然」ということだったらしい。

35年の植民地支配は韓国人の選民意識と誇りを傷つけ、それがトラウマとなって国民の

デモへと発展する。

宮家さんも①で指摘している様に「猛烈な対日優越意識」である。

それはワン・ジョンさんも指摘している様に『人々の民族的憎悪は生まれながらに抱いて

いるのではなく教え込まれたものだ』(P76)という激しい反日教育である。

「韓国は1895年の下関条約で完全な独立国になったのだヨ」と教えると、殆どの人が

「そんなのは教えられなかった」と言う。

歴史教科書といえば④で佐藤さんは「テロリスト史観」(P123)によって貫かれてい

るという。テロリストの名を私は知らなかった。張仁煥、田明雲、李奉昌などで、それも

天皇や政府高官を暗殺しようとしたが失敗したと写真付きで説明している。安重根は日本

人が知っている程、その功績は高くない様だ。

天皇を狙った動機こそが称賛され、成功、失敗は関係ない様だ。正に儒教の国だ。

一方、豊臣秀吉はその「敵対の歴史」は数頁に亘って記されているが、江戸時代の朝鮮

通信使のような「友好の歴史」についてはほぼ言及がない。

これは「嫌日」になっても仕方がない。

正に「恨」の文化だ。

長くイギリスと戦ったアイルランドでもこの様な教育はないと佐藤さんは言っている。

また、1951年の「対日講和条約」会議に呼ばれなかったことがアメリカ批判にもなっ

た。自分達は「戦勝国である」というプライドが傷つけられたのである。

また、佐藤さんが韓国の特異性のある歴史観としているのは下記の歴史教科書の文章であ

る。

パク・チョンヒ政府は国民の反対を押し切って韓日協定を批准しました。その結果韓国

は経済開発に必要な資金の一部を充当でき、韓米日共同安保体制が形作られた。

その反面、日本の植民地支配に対する謝罪、略奪文化財の返還、日本軍「慰安婦」や

強制徴用者等の様々な問題を解決することが出来なくなってしまった。

国対国で認めた協定を認めないのである。これは世界でも珍しい国民感情である。

とにかく相手に謝罪させることが第1の眼目である。

それも「謝罪」は国家が行うこと 

のようである。

日韓協定は1962年11月大平外相、キム・ジョンピル中央情報部長の間で締結された。

無償3億ドル、長期低利借款2億ドル、民間信用供与1億ドル。

日韓基本条約は翌1963年2月に仮調印となった。

この時も共同声明は「遺憾」と「反省」の言葉が盛り込まれている。また日韓請求権協定

によって「完全最終的に解決」と日本の最高裁は認めた。しかし韓国最高裁はこれを

認めなかった。個人請求権は韓国政府が責任を持って補償すると協定には入っている。

なぜこの様になるか?

以下は次のエッセイで説明することにします。

 

(近藤哲夫)

第78話 歴史認識について -5

2015年8月11日

  日本の場合歴史認識はどうなっているのか?  -『蒙古襲来』を読んで考えたこと-

 

  何故この本を手に取ったかについては、私なりにいくつかの疑問があったからだ。

  その前提は、私が戦前に小学校で教えられ、以来私の歴史的記憶の1つになっている

  ことである。

①何故蒙古は日本に攻めて来たか?

 私の歴史的記憶  蒙古は世界を征服したい。日本を属国にしたい。

                          これ本当?

②文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)には大きな台風が吹き、

    一夜にして蒙古の船は全部沈没した。

   私の歴史的記憶  日本は神国である。だから神様が台風を持ってきた。

                             これ本当?

                             -大東亜戦争(太平洋戦争)では大風は起きた?-

 

私の歴史的記憶は、あるいは私1人の誤解に基づく記憶かもしれない。

最近の小、中、高校の日本史のテキストを見ていないので、それが学校でどの様に説明

されているかを知りたいものである。

それとも、この本『蒙古襲来』(服部英雄著 山川出版社)はマガイ物?

 

この本で私なりに納得したのは、why-analysis-check-why の分析のサイクルが

合理的であり、checkに数字による確認も行われていて、技術屋であった私にも良く

理解できたことである。例えば文永11年10月20日は現在のグレゴリウス歴では

1274年11月26日になる。この月に日本にはまず台風は来ない。

(日本の一番遅い台風は1967年10月28日とのこと)

台風は来なくても寒冷前線は11月、12月に吹くので、著者はこれだったのかも知れ

ないと言う。それにしても台風以外で遠洋航海に耐える大型船が沈むとすれば、風速

40~50m以上であるはずである。そんな大風の前線はあるのかナア?

また、弘安の役の上陸作戦に於いては、当日の満潮、干潮の時間から戦を推測している

のも納得の1つである。

この本を納得させるものとして、日本側の資料だけでなく、高麗側、蒙古側の資料も

比較している。

各国の歴史的記憶が最も異なるのは、その合戦の記憶である。両方とも自分の有利性を

針小棒大に説明するのが当たり前(?)に成っている。これをつき合せることによって、

より真実に近いモノが見えてくる様になる。

それにしてもよくもマア70年もダマサレテきたナア。

*日本だけでなく、中国、韓国の資料をつき合せて真実だと思える事

◎フビライ(蒙古の皇帝)の構想

・南宋を攻め込む為の火薬の原料である硫黄を求めた。

・硫黄は当時中国にはなく、火山国である日本が主な産出国であった。

・日本は当時南宋と同盟していた。

・1084~1085年には日本は約300トンの硫黄を南宋へ輸出していた。

○フビライは硫黄以外にも米、水銀、真鍮、材木に関心を寄せていて、交易を積極的に

  推進しようとしたが、幕府の強い反対-使者を切り捨てる-に対し武力制圧が不可欠

  と考えた。

 

◎文永の役の実像

・「文永の役は1日(一夜)で終わった」のは日本の資料のみ

・「嵐が来た」という資料は日、中、韓の資料にはない。

・日本側の資料(公家の日記「勘中記」)では蒙古軍は7日程戦い韓国へ帰国したと

  推定している。

  一方韓国側の資料では11月3日に出発して、11月27日に帰国している。

・900隻の軍船(戦艦)が攻めてきたと言われている。しかし韓国側の資料では

  112隻しか用意出来なかったとある。112隻が戦艦でそれに小型のボートを加えて

  みても900隻にはならない。人数も将兵は550人程で水兵は6720人程度、

  合計で12,000人強ではないか。(P132)

 

-日本側の資料で唯一「一夜」で終わったとあるのは『八幡愚童訓』のみである-

それによると、

「夜中に箱崎の神が出現して蒙古軍を散々痛めつけた」(P95)とある。

これが唯一の資料で、私の歴史的記憶の1つになってしまった。

この資料は八幡信仰の宣伝、布教用に作成されたものである。(P102)

この資料は文永の役のおよそ一世紀後の作品であると考えられている。(P105)

蒙古兵は箱崎宮の神兵30人によって追い返された。

この神兵は八幡大菩薩の化身である。

 

◎何故八幡大菩薩が活躍したか?

・箱崎宮の神、八幡大菩薩は軍神であり、戦に大いに御利益ありと言われている。

  その神の社が蒙古兵によって火災にあった。これを補うための宣伝策であったと言う。

・鎌倉幕府と結託する比叡山の恩円上人が八幡宮で祈祷したことで台風が発生し蒙古軍

  が退散した。

・従って天皇及び幕府の褒章は武士ではなく、神仏に与えるべきである。

-その方が報奨額は少なくて済むか-

 

文永の役だけでも私の歴史的記憶は大幅に変わったが、これに弘安の役を加えると更に

倍加する。

弘安の役については省略するが、興味のある方は原文を読んでいただきたい。

 

◎歴史的記憶  -私案-

江沢民は1992年いわゆる“歴史的記憶”を宣伝した。

これをまとめると以下の通り(中国の項参照、ウンジョンまとめ)である。(P199)

これに対応する日本の項は私の案である。

この案は『蒙古襲来』に基づいている。

 

①分類化

定義 :グループを構成するのは誰かを規定するルールを明示しているか

  中国 :中国共産党は徹底した愛国主義者である

           中国の発展に貢献し得るのは共産党のみ

  日本 :世界最長の天皇制は日本人の誇り

            神国日本

②一律化

  定義 :歴史とその記憶の内容は集団の利害を明確にするのに役立つか

  中国 :中国共産党は中国の国益の守護者である

           歴史とその記憶に基づく非物理的利害も重要

  日本 :我々日本人は日本の法律で守られている

           日本は神仏に守られている

③誇りと自尊心

  定義 :歴史とその記憶の内容は集団の自尊心と神話に関わる要素となっている

  中国 :中国における一切の帝国主義的特権を廃止した

           中国の国際的影響力は日を追うごとに増大している

  日本 :米軍に対する反米的感情は深層にまだ残っている

           第二次世界大戦での負い目がまだ残っている

④果 たすべき役割

  定義 :歴史とその記憶の内容は中国共産党に果たすべき社会的役割を与えているか

  中国 :共産党が果たすべき2つの主な役割

             「過去の恥辱に終止符を打つ」

             「国を大いに復興させること」

  日本 :過去の負い目を少しずつ減少させる

            未来思考の具体化

 

歴史認識についてまとめて見た。

振り返るとまだまだ疎い。少しずつ改良していきたい。

 

(近藤哲夫)

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