私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第101話 歴史に学ぶ -4

2016年7月27日

1.イギリスの国民投票に学ぶ

  読売新聞2016年6月27日の朝刊にこんな記事があった。

  英国内ではこんな造語が飛び交っている。

  BRITAIN+REGET=BREGRET

  英国      後悔     英国民は離脱の選択を後悔している

  また、

  REGRET+EXIT=REGREXIT

  後悔       退出

  または

  BRITAIN+EXIT=BREXIT(ブレクジット)

 

  イギリス人らしいウイットである。

  「どうせ残留すると思って深く考えずに離脱に投票した」

  と後悔している人が多い様だ。

 

  相手の感情に訴える選挙の手法は理性に訴える手法よりも

  効果的である様だ。

  日本でも自民党は正にこのやり方を選挙に利用した。

  民進党はどうだろうか?

  「戦争法案の廃止」と訴えても、戦争経験の無い世代

  の多くなった今日ピンと来るかなあ?

  むしろ100の演説よりも東京大空襲とか沖縄戦のビデオ

  を30秒でも見せた方がはるかに効果的ではないか。

  (むろん選挙違反ではあるが)

 

  ところで英国内の年齢別投票行動では

  18~44歳   残留約60%(73%、62%、52%)

                 離脱約40%

  45歳~       残留約43%(44%、43%、40%)

                 離脱約57%

 

  はっきりと年齢によって分かれている。

  44歳以下は長期的な観点から理性的に見ているのに対し、

  45歳以上は今しか、自分の事しか考えないという短期的、

  個人的、感情的にしか考えていない。

  正にシルバーデモクラシーの悪い点である。

 

  勿論若者達は抗議の声を上げた。

  更に再投票を求める署名は300万を超えた。

  ロンドンとスコットランドでは英国からの独立論も

  熱を帯びている様である。

 

  ロンドンのシティーはアメリカのウオール街に並ぶ

  世界有数の金融街である。

  EUを離れると、シティーに店を出している多くの外国企業

  はフランクフルト等に流れるのではないかと言われている。

  そうなると金もそちらに流れる。

  当然、英国からの独立が言われる様になる。

  現在この連邦に16万人の署名が集まっている。

 

  スコットランドは残留が62%、自治政府のスタージョン首相は

  2度目の独立を問う住民投票を問う準備をしていると言っている様だ。

  スコットランドは現在EUとの貿易が強い。

  従って「EUに残れるよう、EUや加盟国と調整を始める」

  と述べている。

 

  この現象はイギリスだけの問題ではない。

  日本も全く同じシルバーデモクラシー現象が起きている。

  更に若い人達(40歳以下)がイギリスの様に声は大きくしない様である。

  今こそ若い人達が声を上げる時、タイミングではないかと思う。

 

2.歴史再考 -パトリオティズム(愛国主義)とナショナリズム

 

  戦前、私は国民学校(小学校)、中学校(旧制)で愛国主義

  の教育を受けた。

  そして行軍(約4~8kmを隊列を作って歩く)では

  愛国行進曲や、中学では戦陣訓の歌など合唱しながら

  歩いたものである。

  これらは戦後禁止された。

  しかし最近になっても右翼の宣伝カーが愛国行進曲を

  声高くガナリ立てて通っているのを見かける。

  そして時にはヘイトスピーチを行っていた。

 

  かつてバーナード・ショーが書いた様に、

  「愛国心とは、自分が生まれたという理由で、

  その国が他より勝っているという思い込みである。」と。

  私も愛国心は即、他を見下す思い込みと思っていた。

  ところが塩川先生は少し異なった定義をしている。

  (『民族とネイション』P189、P202)

  「パトリオティズムは公共性や自由の観念と結びついているが、

   ナショナリズムは不寛容、閉鎖的、排他的に結びついて紛争

   をエスカレートさせる危険がある。」と。

 

  そうなると、戦前の愛国教育は(悪い)ナショナリズム育成

  の為の教育であったと言える。

  「愛国」と言う名のもとで、これらは正にパトリオティズムと

  錯覚していた。

  「愛国」の名のもとで排他的ヘイトスピーチを行っているのも

  余り変わりは無い。

  「寛容」「開族性」「相互理解」の精神によって紛争解決

  すべき、とは古くから言われていたことである。

  しかしそれが必ずしも上手くいかない。

  今回のイギリスのBREXITについても同じであると思う。

 

  6月29日の日経新聞によると、離脱派のリーダーである

  B.ジョンソンは同じ保守党でありながら自分が首相になりたい

  為に離脱の賭けに出た様だ。

  世界の金融を大混乱に陥れた今回の出来事が、自分の栄光の

  為だったとは全く情けない。

  B.ジョンソンはキャメロンと同い年で、同じイートン校、

  オックスフォード大学に学び、生涯のライバルだった様だ。

 

  一方キャメロンは保守党の長老達への対応として国民投票を

  選んだと言われる。

  長老達は離脱が多く、その理由も

  「偉大なる大英帝国はブリュッセルのEUの連中のこまごま

  とした指示は受けたくない。」ことに尽きる様だ。

  貿易の自由化は大賛成、しかし移民の受け入れは大反対、

  とは余りにも自分勝手で虫が良すぎる。

  貿易の自由化(無税)の代償として移民受け入れを割り当て

  られるのは、今日の社会では当たり前である。

  これもやはり年寄りの我儘で、不寛容、閉鎖的と言われても

  仕方がない。

 

  折しもテレビでは、スコットランドとウェールズの独立準備

  が伝えられた。

  そのうちノーザンアイランドも同調しそうだ。

  そうなるとU.Kは解体し、イングランドだけになるかもしれない。

  そうなればBREXITの代償は大きい。

  シルバーデモクラシーの悪い実例を作った様なものだ。

  日本もこの参議院選挙でどうなるか?

  シルバーデモクラシーの悪い例を残さないことを祈る。

 

(近藤哲夫)

第100話 歴史に学ぶ -3 琉球処分

2016年7月12日

1.6月24日の午後0時30分(日本時間)頃、世界に激震が走った。

     イギリスBBCがイギリス国民投票の結果“離脱派が勝った” と

     報じられたからである。

     日本の株価は1万5千円も低下し、ドル比も一時100円を切った。

    イギリスに在する日本の企業は(約1000社ある)、 その対応に

     追われる事になるだろう。

     特にドイツとフランスは27の加盟国からの離脱が発生しない様に、

     相当高いレベルのハードルを課すと思われる。

     また、26日のNHK NEWSではスコットランド首相がもう一度

     英連邦離脱を考えたいと言っていた。

     スコットランドは、今回はEUに残るという選択をした様だ。

     そうなると英連邦はどうなるのだろう?

 

     もしスコットランドが連邦離脱となれば、沖縄はどうなるのだろう?

     翁長知事は昨年ジュネーブの世界人権会議で講演した際、

    「・・・・沖縄には自己決定権がない・・・・」と言ったという、

    “自己決定権”は一般には独立したい時に使用する言葉である。

   沖縄は江戸時代まで独立王国だった。 明治になって日本に吸収

   されたのである。 だから、2014年9月20日の「琉球新報」の

   社説では、 スコットランドの独立を問う住民投票を

   「世界史的に重要な意義がある」 として「沖縄もこの経験に深く学び、

   自己決定権確立につなげたい」 としている。 この新聞社は、

   この投票の為にわざわざ特派員をスコットランドに派遣 したという。

   このことは「沖縄の地は自分達のルーツがあるという自己意識を持つ」

   人々が増加していることに他ならない。

   即ち琉球民族というナショナリズム形成の初期段階に入っていると

   見た方が良いかもしれない(佐藤優「世界史の極意」)という見方もある。

 

2.ナショナリズムとは 塩川伸明氏(民族とネイション 岩波新書)

      によれば、 色々な区切り方があるようだ。

     それは2つの点で説明している。

     その1つはエスニシティ

      (またはエスニック グループ、エスニス、エトニを含む)

     と“民族”とが必ずしも一致しないことである。

     エスニシティとは一般に血縁ないし祖先、言語、宗教、生活習慣、

     文化 などに関して、“我々は○○を共有する仲間だ”という意識を持つ。

     この場合の○○がエスニシティという抽象名詞である。

     このエスニシティが自分達の国家を持とうとする運動により国家を

     獲得した場合、 その国家の国民が主にその民族で構成されることになる。

     ところがこの世界では“国民”と“民族”が必ずしも一致しない。

     ロシヤ、中国は“自分達多民族国家”と称している程、1つの国に

     多くの民族が存する。 一方ドイツ民族(またはドイツ語)は中部ヨーロッパ

     から東部ヨーロッパに 広く住んでいる。

     国としてのドイツは中部ヨーロッパの一部に存する。

     今から80年前ナチス ドイツは東部ヨーロッパへの拡大を計り、

     それが第二次世界大戦の引き金となった。

     今日、EUが中部及び東部へと拡大した時、 “ヒットラーは銃で拡大したが、

     EUは金で拡大した” と言われたものである。

     日本だって19世紀から20世紀にかけて、台湾、朝鮮を“併合” の

     名のもとで植民地化し、台湾民族、朝鮮民族を“皇民”と称して

     日本人化、日本の名前を半ば強引に付与した。

     “すべての日本国民は日本民族である”という考え方である。

     もう1つの点はネイションという言語である。 ネイション又は

     ナショナリティは国により時代により定義が変わる。

     ナショナリティは“国籍”の意味に使われている場合が多い。

     ネイションは“国民”の方が特に19世紀以降強くなってきている。

     ナショナリズム:ナショナリズムは極度に多様な現象である。

     それは他の様々な政治イデオロギーと結び付き、 時には

      反リベラリズムの色彩を濃くする。

      時には社会主義や共産主義と結びつくことも あれば、ファシズム

      の基盤となることもあれば、 ファシズムへの抵抗の思想、

      連動になったこともある。

      元東大教授の山内昌之先生によれば、ナショナリズムとは

      「その時と場所の状況に応じて、人々をまとめ、結び付けて

      いく力である」と定義されている。

      ナショナリズムは“国民”を作りだし、国民に自覚を促す上で

      強い統合力を持つ。

     山内先生は“近代はこのナショナリズムによって独立主権国家 を

     造り上げた”と言われる。(新地政学 中公新書テクレ)

 

     ナショナリズムは民族の分布範囲と国家の範囲の大小によって

     4つの類型に分類される。

     第一類型として、分立状況から統一をも求める運動である。

     民族分布大、国家少。

     古くは19世紀のドイツ統一、イタリア統一、20世紀は 東西ドイツ、

     最近は南北朝鮮、中国と台湾などである。

     海外同胞の保護の推進などもこれに入る。

 

     第二の類型はある民族の居住地域が大きな国家の一部に摂取され、

     少数派の場合である。 多くの独立連邦はこのケースが多い。

 

     第三の類型はある民族の居住地域と領土が重なっている場合、

     一般にはナショナリズムは目標が達成されているので、

     ナショナリズム運動は起こらないと言われてきたが、最近の

     ヘイトスピーチ問題を見ると、第二の類型または民族的一体性

     を強めるための運動と考えられる。

 

     第四の類型はある民族が広い空間的範囲に亘って様々な国に

     分散居住していて、どの居住地でも少数派である、

      いわゆる ディアスポラである。

      古くはユダヤ人、華僑、アルメニア人、 インド人(印橋)がいる。

 

3.琉球処分 琉球処分とは明治の初め頃(1872~1880年)の

     明治政府が行った琉球への行政処分のことである。

     この言葉は日本政府が作った。 またそれを題材にした

    小説“琉球処分”がある。 (大城立裕 講談社文庫上、下)

    私が読んだのはこの文庫本である。 上下で1000頁以上ある。

    大城さんは芥川賞受賞作家である。

    1368年朱元璋が“明”を興す。

     大租朱元璋は中華の国の威光を持って、近隣の諸国の帰順 を促す。

     日本では足利義満(3代将軍)がこれに応えて朝貢した。

     琉球でも同じく朝貢した。

     明はこれに応えて“冊封”と唱えて国王任命の辞令を与えた。

     冊封は明の自己満足の為に考え出された、殆ど形式的な ものであった。

     それ以上に明からのお返しが素晴らしく琉球王国にとっては

     良い収入になった。 しかし一部の民の心に自国は中国の属領である

     という錯覚を 植えつけた。

     1609年島津氏が琉球に攻入った。 表向きの理由は朝鮮の役

     への兵糧の供出を求めたが応じなかった ためと言われている。

     朝貢貿易の横領によって薩摩の財力が豊かになり、倒幕に貢献 した

     と言われている。 しかし薩摩は1872年までの約260年間、

     中国と薩摩の両属 政治に最も心を砕いた。

     この260年間の間の“中国の想い”と“やまとへの怨み”が 民の意識に

     食い込んだことも否めない。

     天間問題を沖縄では、「平成の琉球処分」と受け止めている様だ。

     “やまとへの怨み”が累積され、構造化されると、合理的、経済的な

    説明では相手に理解出来ない。

 

    「我々は沖縄を差別していない!」といくら東京で叫んでも

   相手は聞く耳を持たない。

   全く今回のイギリスの国民投票と同じく離脱派は感情に訴えた。

   移民が多くて困る! と。

   経済的には誰が見てもEUに残るのが有利だと分かるが

   老人達は“今”が大変だ、嫌だ! の感情で離脱に一票を入れた。

   沖縄も全く同じで、東京での戦争の苦しみを知らない政治家、

   官僚ではイギリスの反対理由と同様、沖縄の人々の感情は

   理解出来ないのではないかと思う。

   1872年は琉球王国が明治維新(1867年)で沖縄藩に

    組み換えられた年である。

    1880年は琉球処分が終わった年である。(明治13年)

    1879年松田道之処分官は警察と軍隊を引き連れ、

    首里城の明け渡しと尚泰王の上京を強要した。

    王の側近達は様々な遅延戦術と取る。 この描写は実に面白い。

    何故日本は急いだか? 大久保利通は西郷との別れなどで

    国内情勢の不安定を海外に向けようとしたという説がある。

    台湾出兵は1874年の4月である。

    小説琉球処分は読んでいて面白い。

    特に面白いのは松田処分官と王の側近達の交渉方法である。

    松田は東京知事をやるほどの優秀なエリートであり、 その交渉方法は

    正に合理的である。 一方側近達は大勢出席するが、しゃべるのは2~3人、

    他は黙って見ている。

    やり方も中国と薩摩の両属政治に鍛えられた所為か中々決めない。

     片方はついにイライラして実力行使を行う。

 

     21世紀の今日、このやり方は現政府と翁長知事の交渉は同じで

     ないかと推察する。 理屈と感情のやりとりではないかと。

(近藤哲夫)

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