私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第53話 「動き」と「働き」 - 山本七平の見方

2014年7月23日

 第52話では、山本七平氏の歴史を観る眼について感ずることを述べた。

 

実はこの本の第7章「動き人」「働き人」の記述を読んで驚いたのである。

 この本『「知恵」と発見』は1977年10月の「実業の日本」の特別企画号として

発表されたものを再編集したものである。以下はその記述である。

 

 『つくったものをその場に積んでおく

  

名古屋の生産性本部に行ったときに、トヨタの大野耐一副社長の講演筆記を見せてもらった。

内容は「トヨタはこういう基本的な発想でやっている」ということだが、これを読んで

我が意を得た気がした。・・・・・要するに人間の発想は工程順になっている。この発想

を逆転させて、「金になる順」にする、前工程が後工程を制御するようにした。・・・・

・・・・即ち後工程へ必要なトキに必要な数だけ取りに行けばよい。・・・・・・・・・

前工程が取りに来ないで、在庫の山の様になれば仕事を止めれば良い。やめて「ポケッ

と立っていろ」そうすれば、人が余っているので、目で見てわかる・・・・・・・・・・・・・・・・』

 この発想を山本さんは自分の仕事の出版業に当てはめている。

『本の押し込みはやらない。そうすると返品も少なくなる。

営業低能と言われようと、後工程が前工程の制御が出来る様になる。

(1年で1000部売れるとすれば1000部積んでおく)

「後工程が金を生む」のである。この様にすれば小出版社でも無借金経営が出来ると思う。・・・・』

 

 『この講演会筆記の中で、もう一つ面白かったのは「動き人」と「働き人」という分け方

  をしていることである。

  企業にとっては、動いているだけではポケッと立っているのと同じで働きにならない・・・

  ・・・うちの社員は3人だが、3人共「本を作っている」だけ、即ち働いている・・・・』

  この様に「働く」のは儲けに結びつくのである。

 

 『「またトヨタでは労働密度が高いから」・・・・・・という言い方をされている様だ』

 労働密度が高いということは、全作業中に「働き」の割合が高いことを示している。

「働く」とは「儲ける為の動き」である。

 

 驚いたのは、1977年10月(S52年)とは、そのちょうど1年前の1976年10月

にトヨタではトヨタ自主研究会が発足し、オイルショック後の混乱期にトヨタ生産方式を

トヨタの協力会社に拡大していこうといった時期であった。トヨタグループの中でも

多くのTOPはトヨタ方式の理解が不十分な時期で、自主研メンバーはトヨタ方式を

社内に展開するのに苦労している最中であった。

 この様な時期に、大野さんの講演筆記を読んだだけで自分の会社に当てはめている。

それも正しい理解のもとで当てはめているのには全く驚いた。

 現在でもトヨタ方式の導入に消極的なTOPの多い中で、

製造業ではなくても出版というモノ造りの中で、大野さんの発想を応用されているのは

全く感じ入った次第である。

 

 大野さんの発想は、初めは多くの人からの賛成は得られなかった様だが、

一般の山本七平氏の様な常識人にはすぐに受け入れられた様だ。

オドロイテいる。

 

(近藤 哲夫)

第52話 見るということ - 歴史を観る眼 3 山本七平 『歴史的現代を観るユダヤ人』

2014年7月08日

久しぶりに山本七平氏の新刊が出た。(『「知恵」の発見』さくら舎)

著者が亡くなって既に20年以上が経った。

1970年からの著書『日本人とユダヤ人』が出て、ユダヤ人と対比することで、

日本人の特質、長所、欠点を画いてくれた。当時私は留学から帰って来た頃で、私も日本を米国との

比較で見ていた様だ。

 その所為かこの『日本人とユダヤ人』には全く同感で、旧約、新約聖書にも目を通したことがある。

(旧約はサッパリ分からなかったという記憶があるが)

そこで早速この新刊を読んでみた。

 この『「知恵」の発見』の第12章の歴史的現在の教訓で彼の歴史観を見る事が出来る。

 

 1.古代イスラエルの歴史は、生誕は良く分かっていないらしい。仮にスタートをモーゼ

      の脱エジプトとするとBC1230年頃らしい。しかし、終わりははっきりしている。

      ローマとの第二次ユダヤ戦争で首領バル・コクバが死亡し、ユダヤ人のイスラエルか

     らの追放で終わった。AD135年である。

     その間、ソロモン王による繁栄、アッシリアによる侵略、アレキサンダーに征服され、

     最後にはローマによって故郷を追放される、といった、国家の生長、発展、繁栄、衰

     退、滅亡と言ったプロセスがこの千数百年の間に起こっている。そして、最後は自

     分たちの地からの追放といった悲劇はユダヤ民族だけが持っている。

      それに較べて、日本はこの地で昔から日本民族として住する日本国である。ユダヤ

     の歴史はそういった意味で、民族の「起」「承」「転」「結」の明確な歴史の全体像が

     観えてくる。

    それに較べて、日本の歴史は「起」「承」「転」位までは掴めるが、「結」はどうなる

    ことか?

 

 2.歴史的現在について

     第二次ユダヤ戦争で敗れたバル・コクバの手紙が発掘された時、新聞はトップニュー

     スとして「イスラエルの最初の大統領の手紙が見つかった」と報じたらしい。

     1800年以上も前の人の話である。

     日本では卑弥呼の時代である。卑弥呼のモノがもし見つかった場合、日本のマスコミ

     は同時代感覚で報道するだろうか?

 

 3.民族生涯史について    -国が亡んでも文化は残る-

     聖書に2000年来親しんできたヨーロッパ人は、民族の「起」「承」「転」「結」、

     即ち生涯史的発想を持っている、と山本氏は言っている。

     日本人にはこれが無い様だ。

     イスラエルははっきりとした滅亡史がある。それでいて彼らはペシミストにならない。

     なぜか?

     ユダヤ人は国家が無くなっても文化は残るという信念があるからである。

     これはイギリス人でもフランス人でも同様で、自国の文化に強い信念を持っている。

      その点、日本人はどうだろうか?自国の文化に強い信念を持っているだろうか?

     自国の生涯史的発想が可能な民族はそれだけ強い民族であろう。

     「歴史の全体像を捉える」ことは、少なくとも日本人にとっては困難な様だ。

     日本人はまだ若いのかな?

      21世紀は地球規模での全体最適が叫ばれる時代になるだろう。

     その場合、この地球社会という三次元連続体をどの様な視座で、その全体像を捕まえ

     るかが1つの鍵になるのではないか。

 

(近藤 哲夫)

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