私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第107話 AIまたはIA? (1)

2016年10月25日

8月末から体が大分復調して来たので、この2週間で3冊の

「人工知能」についての本を続けて読んだ。

いずれも日経新聞推奨である。

 

始めに手にしたのは

①「人口知能は敵か味方か」ジョン マルコフ著、日経BP

  原名は THE  QUEST FOR COMMON GROUND BETWEEN

         HUMAN AND ROBOTS である。

 “人とロボットの共有場所の探索”とでも訳すか。

 (余り迫力はないが)

 

著者はコンピューターソフトに詳しく、全体を通じてソフトの

発展に力点を置いている様である。

私がジョージアテック(GT)でコンピューターソフトの授業を

受けた時のソフトはBASICであった。

またシミュレーヨンの授業ではFORTRAM4であり、卒論の

ソフトはDYNAMOというシミュレーションソフトを使用した。

また時にはGPSSというシミュレーションを使ったりした。

余談であるが、その頃の富士通は事務用のコンピューターを販売し、

当時は当社(関東自工)でもそれを使用していた。

1969年頃富士通の技術者と雑談していると、

「GPSSは富士通にもあるが誰も使ったことはない、

  近藤さん使ってみませんか。」と言ってきた。

そこで勉強会を開き、数人にGPSSプログラムの使い方と、

プログラム作成方法を教えて、まず工場のラインバランシング

の最適等をシミュレーションした。

その頃のコンピューターはメインフレームのみで、冬でもクーラー

をかけないとコンピューター室は暑くてしょうが無かった。

 

マルコフさんはソフトには詳しいが、ロボットや自動運転者のハード

には余り触れていない。

しかし、記者らしく現在の2つの潮流、即ち

人間の代替か-AI(Artifical Intelligence:人工知能)・・general  AI(多能型)

人間の能力拡張の道具か-IA(Intelligence Amplifier:(拡張型の)専用人工知能)

については、何度も口酸っぱく説明している。

AIかIAかについては改めて述べることにする。

 

もっとハードの事を知りたいと思っていたら次の本が出版された。

②「AI時代の勝者と敗者」T.Hダベンポート、J.カービー、日経BP

   原名は ONLY HUMAN NEED APPLY(人のみを採用)

          WINNERS AND LOSERS IN THE AGE OF SMARTMACHINES

          (AI時代の勝者と敗者)

 

①がソフトの製作側が中心の話であったが、②はソフトを使用する側の

変化を中心に話を進めている。

ホワイトカラーの大規模事務改革に大型コンピューターを導入し、

それによってこれまで働いていた従業員の対応を5つの区分に分けて

具体例を解説している。

 

ダベンポートは大学教授でもあるので、説明も中々説得力がある。

彼(等)はロボット、コンピューター搭載機器(自動車、戦車、ドローン等)

をまとめてsmart-machines(賢い機械)と呼んでいる。

スマートマシンと括ることによって、軍事機器も非軍事機器から容易に

軍事機器に変換出来る。

その逆もまた容易に可能である。

例えばインターネットはもともと軍用として開発されたものである。

もっとも米国の開発費用の多くは軍関係から出ていると言われている。

私の体験では1968年にカンサスシティにある州立コンサルタント会社

で3ヶ月ほど働いたことがある。

私のジョージアテックでのシミュレーションの経験を買った様だ。

それは“もし第三次大戦が欧州で発生し、ソ連が欧州に攻めてきた

ことを想定し、”“NATO軍は当初大敗するだろう”と想定した。

“いずれは盛り返すだろう、それも一年以内に。”

そこで敗退する時に、ドコにどんな機種の武器を、どの位埋めれば良いか

がテーマである。

勿論、両方とも原子爆弾は使用しないとの仮定である

この発注元は民間の会社であったが、その後にはNASAが動いていた様だ。

 

武器としてのsmart machinesは現在の所、殆ど無人である。

人間は後方に居て、事務所でコントロールしている。

先日のNHKのテレビにも出たが、ある兵士がテキサスの自宅に居て、

朝事務所に出勤する。

仕事はアフガニスタンのアルカイダを探し、ドローンで攻撃を掛ける。

アルカイダを殺し、夕方には自宅に帰り子供と遊ぶ。

殺人は正にゲームの様に行われている。

 

ダベンポートはこの様な殺人(?)兵器には勿論反対である。

彼は人間の能力拡張のみにsmart machinesを使用すべき、

即ち、IAを発展すべきであるとしている。

 

所が米国ではN.ウィナー(サイバネティクス)以来

AIが主流である。

ホーキングも同様である。

従って2045年のシンギュラリテー到来を心配する。

特に自立型人工知能兵器の開発(人間の手を借りずに殺人する兵器)

には絶対反対である。

ドローン攻撃は勿論反対。

なぜその様に感じるか?

この議論は稿を改めて続けたい。

 

*NASAでは

  AIでは人間はサークルの中に入らない -無人

  IAでは人間はサークルの中に入っている -有人

  としている様である。

 

③「ビックデータと人工知能」西垣通  中公新書

西垣名洋教授は東大工学部でコンピューターを研究された、

日本のコンピューターの草分け的存在である。

 

この本は5章から成り立っており、

1~3章がコンピューター、その中でも特に人工知能の

発展の歴史である。

私が当時最先端だったIBM360-40に触れたのは

1969年末であった。

当時、リアルタイム処理(それ以前はバッチ処理のみであった)

が出来たのはこの機械だけであり、日本ではNHKが最初に導入し、

第2番目がトヨタ元町工場であった。

いずれもオンライン リアルタイム処理が可能であった。

第3番目に関東自工東富士工場に導入ということになった。

私は同時並行処理できるIBM機を米国で見て、

これを入れたかったが、日本へはまだ輸出していないということだった。

同時並行処理は1968年当時アメリカでは大流行であった。

21世紀の今日では並行処理は当たり前であるが。

 

1970年より1971年6月まで東富士工場で電算室の設置、

落雷予防(富士山麓は落雷が多い)のための大型発電機の設置

(停電しても30秒間は発電し続ける)、工場の課長以下への

電算についての説明等々、工場に詰め切りであった。

工場長の「企画課を設置したから課長として来てくれ」

の要望にすぐにOKを出したが、人事部、総合企画室は反対で

結局は1年半で仕上げてくると約束して工場へ転出した。

実際は5年以上になり、人事担当役員は立腹し、

半ば強制的に生産技術部次長に転出させられた。

工場の5年半は私の人生の大転換であった。

最大の転換は大野さん、鈴村さんとの出会いである。

更には張さんとの出会いは今日まで続いている。

 

西垣先生流のカレンダーによると、

1970年は、人工知能は玩具の様なもので、パズルやゲームを

解くもので、一般の企業には利用されなかった様だ。

当時IBMのエンジニアとの話も、オンライン処理とか並行処理の

話は話題にはなかったが、CAD,CAMはまだ蕾の状況であり、

(10年後にはプレス型設計用としてCADを導入した)

人工知能はまだまだ先の話であった。

 

4章、5章は西垣先生の持論の展開である。

先生はIA論者であり、日本と欧米、ユダヤ、キリスト教世界との

比較は面白い。

1つの宗教社会学である。

 

以下(2)人口知能の歴史

    (3)シンギュラリテー予測は当るか?

   (4)なぜ悲観的に考えるか、その歴史的背景

  

 

(近藤哲夫)

第106話 武士道

2016年10月25日

 武士道

                   -『武士道』(新渡戸稲造)講談社文庫

 

  以前のエッセイでは内村鑑三の“代表的日本人”の私なりの想いを

  述べましたが、今回は同じ頃読んで“武士道”について感想を

  述べてみます。

 

  この2人は共にキリスト教者である。

  “代表的日本人”は昭和21~22年頃(1946~7)読んだ

  のだが、今日少し記憶の一片があったが、

“武士道”は殆ど記憶にない。

  その頃、武士道は日本から消去された(占領軍による)

   と言われていた。

  新渡戸稲造がこれをまず英文で書いたのは1899年(M32)

  と言われている。

  1899年と言えば日清戦争の4年後である。

  私が体験した戦後とは全く正反対であったと想像する。

  1899年は戦後賠償により日本人は意気盛んになっていた。

  台湾への移住も盛んになっていた様だ。

  私の叔父、叔母は昭和の始め叔父の仕事(公務員)で台湾の

  新竹市に住んでいたが、殆ど戦争知らずであったと言う。

  戦後帰国して食糧難にびっくりしていた。

  日本政府も台湾が賠償によって日本領土としたことで

  大変なメリットがあった様だ。

  また日清戦争直後に起きたロシヤ、ドイツ、フランスの

  いわゆる三国干渉によって遼東半島、青島の返還が発生し、

  その頃の新聞には“臥薪嘗胆”なる言葉が躍っていたという。

  (司馬遼太郎)

 

  司馬遼太郎によれば(坂の上の雲)この頃の日本人は正に

  発育盛りで殆ど全員が将来の夢に向かって進んでいたという。

  ところが昭和21年は敗戦国として、殆ど全員が意気消沈していた。

  その日の食事をどうするかが頭の中の大半を占めていた。

  占領軍は日本人の復讐を恐れて、教科書で少しでも大和魂とか

  武士道についての説明があればすぐに墨で塗りつぶされた。

  その位彼らは日本人を怖がっていた。

 

  新渡戸先生がなぜ書いたかについて序で述べている。

  1つは西洋には「宗教の無い所には道徳なし」という

  暗黙の前提に対し、日本には宗教は無くとも武士道がある

  と言いたかったことでもある。

  第2は新渡戸先生の奥様がアメリカ人であることである。

  彼女が「なぜ多くの日本人は礼儀正しいのか」の質問に

  対しての答えとして武士道の感化を挙げている。

 

多くの実例比較は西洋との比較、事例である。

 (西洋人に読ませるため)

従って引用している名前は大半が西洋人である。

116年前の欧米人の名前の多くは知らない人々である。

従って引用されている言葉は理解できるが、

なぜそのような言葉が生まれたかのバックグランドは

殆ど分からない。

翻訳は矢内原忠雄先生が行なっておられるが、

昭和10年代の日本語は現代に比べて少し硬く感じる。

 

日本語の“武士道”は英語のシヴァリー(chivalry)に相当

するが、その発生は西洋と異なり1000年前に日本で発生

した固有の花である、としている。

むしろ武士道は武士がその職業に於いて、また日常生活に

おいて守るべき道としている。

即ち、武士階級の“身分に伴う義務(nobless o’blige)”である。

ノブレス オブルージェであるとすれば、英語では

ジェントルマン(gentleman)に意味も近い。

 

  武士道の興起は源頼朝の幕府創立(12世紀)と言われているが、

  武士の源は既にそれよりも早く源氏の発生後に生まれた(16世紀頃)。

  武士道もそれと同時に発生したと考えた方が良いと新渡戸先生は言っている。

  実際には頼朝の先祖である八幡太郎義家(11世紀末)の頃には

  戦い方(名を名乗る、舟戦では先頭は射ないなど)に暗黙のルール

  があった様だ。

 

  “武士道”の本の中身として「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」

  「忠義」「克己」が詳しく述べられている。

  これについては省略する。

 

  「花は桜木、人は武士」

  

  武士道は最初発生した社会階級より多様の道を通って流化し、

  大衆の間に酵母として作用し、全国民に対する道徳的標準を

  供給した、と言われる。

 

   本居宣長は

  「 敷島の大和心を 人問わば 朝日に匂ふ  山桜花 」

 

  と詠じた。

  山桜は正に自然の花、野生の花である。

  そしてわが国固有の種である。

  匂いも朝のみで淡い匂いである。

  欧米人の好きなバラとは全く反対である。

  バラは匂いも強く、色は華美、トゲを持ち自己主張が強く、

  桜の様に時が来れば散っていくことも無い、

  と新渡戸先生は説明している。

 

  日本で廃刀令が発布されたのは1875(M8)年である。

  日本の武士の廃止である。

  しかし武士道は国民1人1人の中に無意識のうちに

  残っていると新渡戸先生は言っている。

  それが日清戦争での戦いで明らかになったと。

 

  第二次世界大戦後強制的に黒墨にさせられた武士道や大和魂が、

  今回のリオ オリンピックを観ていると甦った様に感じる。

  大和魂や柔道の儀礼に始まり礼に終わる武士道精神、相手に

  勝っても腕を肩以上には挙げない、正に負けた相手を思いやる

  気持ちが随所にあった。

 

  でも若い女子選手の一部は外国人並みに両手を高く挙げる

  野蛮な行為を行っていた。

  教育が必要だなアー。

(近藤哲夫)

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