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改善エッセイ

第51話 見るということ - 歴史を観る眼 2 堺屋太一

2014年6月24日

 堺屋太一氏の本は愛読書の1つである。彼の本は人間の合理性に裏打ちされた歴史小説である。ジンギスカン、石田三成、大石内蔵助等(本のタイトルとは異なるが)、人間の合理性と人間を弱さを持った人間として表現している。勿論、元経済企画庁長官だけあって当時の経済状況をよく観察し、その上で推論を行っている。

 今回は「歴史の使い方」(講談社)をベースにして、彼が全体像をどの様に描いているかを推察したい。

 

 1.人間の持つ人間性はさほど変わらず、従って組織の原理も余り変わらず、経済変動は

      循環するとすれば(例えばコンドラチェフの波の様に)相似た事象は似た様に進むで あ

      ろう。

      堺屋氏は具体的には明治維新(1868年)から第一次世界大戦終了(1918年)までの

      50年間と、太平洋戦争終了(1945年)から冷戦構造の消滅が確認された(1995年)

      までの50年間はどちらも、日本にとっては幸運の50年であったという。前の50年

      は日英同盟により、後の50年は日米同盟により、外交問題に災いされず、内政のみ

      に 集中すれば良かった、からであるとのこと。

      A.J.トインビーもこれに似た様な事を言っている。

      1931年トインビーが来日した時、ある会議の席上で、「満州問題に対する日本の責任

      は大きい。それは日本の運命を決する」と。その1年後満州事変が発生(1932年)、

      そして国際連盟脱退、に注戦争、第二次世界大戦へと泥沼を進んだ。

       トインビーはその1年前に、「日本の満州進出は、カルタゴの世界進出と同じ」と観え

      たと、1934年に論文で発表している。

      日本の満州進出は、当時の世界に対する挑戦であり、これは正にカルタゴのローマ

       に対する挑戦である様に観えたのであろう。カルタゴはその後第一次ポエニ戦争(BC

       264年)から第三次ポエニ戦争終了(BC146年)で完全に破壊された。

       日本の敗戦(1945年)を14年前に観えていたという眼力は凄い。

 

 2.世界の歴史を観る場合、、古代から逐次現代に来るのではなく、「逆に現代から順次

 さかのぼる」方が良い。

      これは堺屋氏もトインビーも全く同じことを言っている。

      日本は例外として、世界の歴史は民族の大移動、侵略等で、昔の人が入れ替わっている、と言う。

     中国を始め欧州は正にそうであった。

     日本だけは歴史時代においては、他国からの侵略はなく、従って「継続性」「単一性」

     「純粋性」が保持出来た。

 

 3.歴史上の人物を観る場合、その人の戦術能力、人脈能力の巧みを観るのではなく、

    「VISION」を観る。

     信長のビジョンと光秀の考え(彼は修正論)の違いが本能寺の変を生んだという。信長

     は「天下布武」の中央集権であり、光秀はこれまでの地方分権的連立であった。

 

 4.理論歴史学(推定史論)について

    「現在、物証や文献資料が分かっている事象はAとBである。その様なことが生じた

    のを合理的に説明するとすれば、AとBとの間にCという事件があったに違いない」

    と仮説を立てるのである。

    これは統計学では許容されているイントラポレーションの技法である。

    歴史小説では、堺屋氏を始め塩野七生氏も同様の技法を使われている様である。

堺屋氏は6つの原則を提示している。

①証明されている歴史的事実をすべて説明出来る仮説である。

②判明している事実の空白を埋める時は、事実として最もありそうなことを採用する。

③その時代の技術や社会環境と完全に合致する。

④歴史上の有名人でも、今日の我々凡人と同様に、日常の些事雑務に追われている。

⑤技術条件を正確に考える事。(特に情報技術)

⑥「勝者を美化せず、敗者に同情せず」の傍観者の態度。

 

 5.治安あるいは文化が失われると体制は崩壊する

    経済が悪くなっても体制は崩壊しない

    ・ゲリラ戦は治安を失わせるのがネライ。 例.キューバ、ベトナム

    ・「文化」が信じられなくなる体制崩壊。  例.ソ連、東ヨーロッパ

      ソ連の場合、「社会主義」(モノが多いことが幸い)という「文化」が誰も信じられな

     かった。

    ・明治維新は「武士の文化」が破綻した。

      武士は偉い、武士は権威がある、武士は戦いに強い、・・・等の文化があっと言う間

      に潰れた。そして「文明開化」という新しい「文化」に変身した。

      昨日は「尊王攘夷」、今日は「文明開化」である。

 

以上、堺屋氏の歴史の観方を私なりの見方で抜粋してみた。

同意するのは仮説の設定である。人類の発生以来約20万年と言われる。その内歴史時代は

せいぜい1万年足らずである。

 2000年前と現代を比較してみたとしても人類の発生から現在までという、長いスパン

の中では同時代とみても変わりはないものだナァ。   

 

(近藤 哲夫)

第50話 見るということ - 歴史を全体として観る アーノルド・J・トインビー

2014年6月10日

 久しぶりにArnold Joseph Toynbeeの『歴史の研究』(蠟山政道、中央公論、S51年版)を再読した。初読はS52年頃(1972年)である。

何故再読したか?

 

それはこれまで読んだ歴史小説がほとんどその時代の、そのエリアの英雄を取り上げていて、地球全体の又は人間の歴史の上でどの様なポジションを占めているのか、その関係を知りたかったからである。例えば、塩野七生の『フリードリッヒⅡ』(上、下)(新潮社)を読むと、中世末期のヨーロッパの正に「夜明け前」の状況が良く解かり、小説としては全く面白く、ついつい『十字軍物語』(1、2、3)も再読してしまう。しかし、少し物足りない。

この時日本との関係は?チャイナとの関係はどうなんだろう?と。

『十字軍物語』では蒙古軍とマメルーク軍(エジプトの王朝軍)との戦いが少しはある。

しかし、その後のモンゴルとの関係は触れられていない。小説だからしかたないかとアキラメル。(一般の歴史書も個別的らしい)

もっと全体を眺める歴史書はないかと思っていたときツト思いだしたのがA.J.Toynbeeの前書である。

 

当時(1972、3年頃)、私の仕事は関東自動車工業(現トヨタ東日本(株))での改善の最中であった。特に全体改善のチームリーダーとしての仕事が中心で、「全体を観る」「森を観る」ということに集中していた様に思う。それ以来「個別よりも全体」「短期よりも長期」に興味が変わり続けている。

 前説が長くなったが、A.J.Toynbeeについて説明したい。

まずアーノルド トインビーという人は2人いる。

1人は私共技術者としては誰でも知っている「産業革命」という言葉を学術用語として広めた歴史家である。

 ARNOLD TOYNBEE (1852年8月~1883年4月)

この人の甥がA.J.Toynbee(1889年4月~1975年10月)である。

A.J.Toynbeeの名前は日本人にはナツカシイ名前である。「日本文明」を中国文明から独立して別の文明としたのは彼であり、戦前、戦後来日しては史跡を調査したり、講演をしたりした。

東大教授で、禅学者の鈴木大拙博士との共鳴もあり、『歴史の研究』全巻約6千ページも日本語として翻訳されている。私が読んだのはその要約版である、それでも560ページあった。

 勿論、私は一介の技術者であり歴史家ではない。私の観点は「歴史、特に文明を全体としてどの様に捉えるか」に興味があり、個々の文明には興味はない。

しかし、私個人として彼に惹かれるのは「人間」を中心に歴史を観る、それも「人間の魂を中心に観る」ということである。

 私も戦後の大学生が染まるマルクス唯物史観で物事を観ていた大学生であった。就職後はもっと人間臭さのするもの -その1つが歴史小説である -に傾斜していった。

「魂を観る」ことは当然、宗教とどう観るかということである。それについては実に面白い(私には)観方だと思う。

 次に全体を観ることは、当時のヨーロッパ中心の史観の反逆である。現代の言葉で言えば、第1次世界大戦(1914年)に於いてパラダイムチェンジが起きたにも関わらず、殆どの歴史家はヨーロッパ中心史観が続いているものと考えていた。彼への数多くの批判はこの人々によって行われたという。

そして、これまで行われていていなかった、14の文明の比較研究により、従来のいわゆるイギリス型とかヨーロッパ型といったパターンで整理することは出来ないとした。

 

・トインビーの歴史理論

 従来の楽観論 -即ちヨーロッパ流の自由な活動で人類は進歩する- が1914年以降崩れてしまい、シュペングラーの『西洋の没落』の様な悲観論が支配的になった。これについて彼は2つの法則、いわゆる全能の神による形而上的法則、即ち「神の法則」ともう一つは非人間的で画一的で、人を動かすことが出来ない「自然の法則」があると仮定している。

この「自然の法則」はニュートンやアインシュタイン等により自然の混沌の中からある秩序として明らかにされている、としている。

・また、歴史における規則性については、例えばアメリカ移民の家族が、アメリカ人の家族へと変化するのには3世代の相互作用が必要という点を見出している。

イギリスでも労働者階級から「良家の人々」になるのに3~4代掛かるのが普通であった。

・歴史の悲観主義からの脱却のためには、BC431年~404年のギリシアに起こったペロポンネソス戦争の動乱時代に起きた「ホモノイヤ」(協生、共生)運動は、力に依らない方法として提唱されたものである。

トインビーはこれを推している。

この「ホモノイヤ」運動は、中国では、孔子、老子が唱した運動でもあった、という。

 現代においては国際連盟や国際連合がこれに当るという。この他、彼独特の言葉、例えば「文明」とか「創造的少数者」「支配的少数者」を定義するのは歴史の話になる。また、反対論も同様である。

 「全体を観る」「森を観る」のに「人間、人間の魂」を中心に14という多くの文明比較をすることは素晴らしいことである。

 これにより従来の個々の時代の個々の歴史を観るという、言うならば「木」を観ている人々にとっては批判したくなるのは当たり前だ。

また、この批判も謙虚に受け止めて改訂版として発表するのも、人間らしさを感ずる次第である。

(近藤 哲夫)

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