私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第85話 「あるべき姿」とは一体何だろう

2015年11月24日

センチュリープロジェクトで私が学び、体験したことは数多くある。

その中でも一番学ばせてもらったのは「あるべき姿」である。

第4話で記した様に、私がトヨタ語として始めて鈴村さんの口から

聞いたのは、1971年大野さんに

「やるもしないで出来ないとは何だ!」

「カバンを持って帰れ!」と叱られた、正にその夜であった。

「大きなプロジェクトは『あるべき姿』がないと改善の方向性

が定まらない」

「『あるべき姿』はチームメンバーにこの方向という羅針盤の役割

を果たす。

『あるべき姿』のよって『あの山を登れ』と具体化されるので、

改善力が集中出来る」

「今のお前はただメンバーにガンバレと言っているだけだ。

集中力が無い!」

「『あるべき姿』はチームリーダーしか出すことは出来ない。

唯一お前の仕事だ」

40数年経過したこの夜のことを今でもはっきり記憶している。

この時始めて、鈴村さんの涙を見た。

鬼の鈴村と言われた師匠の真の心根を始めて知った。

今日、張さんと私は誰が何と言おうと鈴村さんから教えてもらった

ことに感謝している。

今年も2人でお墓に参った。

 

しかし、「大幅な原価低減」と「1人もクビにしない」の両方を

満足させる『あるべき姿』は中々発見出来ず、約5カ月悶々と

した時間を過ごした。

関東自動車という枠の中だけでいつの間にか考えていたのである。

トヨタ全体という大野さんの立場を仮想することによって道は開けた。

後で考えると、なんで5カ月も悶々としたのだろう?

とおかしくなる。

「大野さんが出したテーマなんだから大野さんの立場に立って

考えるのが当たり前じゃないか」

これは後になって大勢の友人から指摘された事である。

大野さんの立場は抽象的には理解出来る。

しかし、副社長、オールトヨタの生産統括はその立場に立って

始めて腹に治まる。

私が実感したのは、紀文食品でその立場になってからである。

この時の仮想はあくまで私の想像、空想の範囲であった。

『クラウンとの混合ライン化』という『あるべき姿』を出す

ことで現場がこれに集中出来る様になり、改善スピードは

早くなった。

またモデルチェンジもオイルショックをまたいで順調に推移した。

そう言った観点から観ると、この『あるべき姿』は良かったのでは

ないかと密かに思っている。

その後いくつかのプロジェクトを手掛けた。

その都度『あるべき姿』を画いた。

 

今日気が付いた点をいくつか列挙してみたい。

①『あるべき姿』に良、否は無い様に思う。

  まず良、否を判定する基準が無い。

  結果で良、否が決まるのである。

  結果の主原因が「あるべき姿」なのかどうか分からない事が多い。

  ただ言えるのは「良いあるべき姿」は改善の関係者の集中力を

  向上する。結果は良い方に動く。

 

②『あるべき姿』は大小種々の改善テーマに使用出来るが、

   テーマの範囲が広く、1年以上のプロジェクトの場合、

  関係者全員の意志の統合のためには 『あるべき姿』が必須である。

  それも単なるスローガンではなく、具体的な『あるべき姿』が実践

  する上で拠り所になる。

  「クラウンとの混合生産」とか「少数精鋭の県庁業務」とか

  「翌日には届くTV」とか「旧車の溶接設備をそのまま使用」など

  『あるべき姿』が具体的であればあるほど、人間は、少なくとも

  日本人は改善へと動いていく。

 

③『あるべき姿』は余り汎用性が無い様に思われる。

  私の経験不足かもしれないが、少なくとも7個以上の

  プロジェクトに参加して気が付いた事は、『あるべき姿』は

  その場、その時の人の集合で決まるのではないかと思う。

  これは『あるべき姿』そのものの本質にあると思う。

  これではワカル人にはワカルが、ワカラナイ人にはワカラナイ。

  大野さんに説明して「クラウンを月2000台下さい。」と言った時、

  一般の上司はウーンとウナッて決められないのが普通である。

  実際に関東自動車のトップがそうであった。

  ところが大野さんはわずか2~3秒後に「クラウンを持っていけ」

  と決断された。

  大野さんも過去にハッと気付くことを経験されたのだと思う。

  鈴村さんは数十回あったと言っていた。

  後になって坐禅をした時、肩を叩かれた時にこれがハッとする時か、

  と1人で認識したことがあった。

  言葉にならない知恵を仏教では『般若』と言うらしいが

 『あるべき姿』も『般若』の1つかもしれない。

  となると『あるべき姿』はセンスかもしれない。

  センスの良い人はすぐ『あるべき姿』を理解し、センスの良い

  『あるべき姿』を創出することが出来る。

 

④センスで言えば、『経営』はセンスである。

  センスの良い人が良き経営者になる。

  センスは手法ではない。感性である。

  その感性によってその企業のその時の事業をまとめていく。

  『経営』はそう言った意味で統合の技術である。

  統合の技術は一般にマニアル化したモノは存在しない。

  あるのは考え方であり、哲学である。

  センスを磨くのに、現代の欧米のビジネススクールでは

  美術、芸術、文学の素養を行うことを奨励している。

  日本でも多くの明治の経営者は茶道などにはまっていた。

  リベラルアーツはセンスを磨くのに良いものだろう。

  現代は少しギスギスしているが・・・。

  ところが一般に「手法」は統合とは反対の「分析手法」である。

  大学、大学院はこの手法を獲得するのに大半の時間を費やす。

  大体、専門家は殆どが「分析手法家」である。

  しかし「分析」だけでは経営は出来ない。

  もし可能ならば自分で経営するはずである。

  統合のセンスがないから、自分で経営出来ない、人が使えない。

  これはP.Fドラッカーの言葉である。

 

  『あるべき姿』は1つの統合の技術である、と私は思う。

  多くの会社を訪問するたびに、私は「社是」「社訓」に目が行く。

  それは、それを作った人の1つの『あるべき姿』だと思うからである。

  そこにはその人の想いが伝わってくる。

 

⑤工場全体の改善、会社全体の改善はまず『あるべき姿』を作り、

  発展するのはリーダーの役割である。

  特に仕組みの改善(システム+人の統合)には、

  まず統合の技術としてのセンスの良い『あるべき姿』、

  次に個々のサブシステムに適切な分析手法と

  サブシステム間の統合の為の情報、物流の改善

  などに展開していく。

 

  具体的にはTVの受注⇒生産⇒入庫⇒出庫⇒店の

  システムをPUSH方式からPULL方式に変更の

  お手伝いをした時は、営業、工場、物流センター、専門店

  について、工場改善、物流改善、コンピューターシステム改善、

  後に営業改善のお手伝いをした。

  この時の「あるべき姿」は常務と私とで決めた。

  管理項目は各ステーション毎の日々の導守率(OTDR1、2、3)である。

  導守率(OTDR3)が80%を超えた時、店からのクレームが0になった。

  その日のマーケットシェアは1位になった。

 

これからの時代は個別の業務改善から全体の経営改善へと

広範囲の改善に発展していく。

特に情報システムの改善はIOTに象徴される様にコンピューターを

媒介することが多くなる。

この時注意すべきは、コンピューターシステム部門が提案する、

いわゆるTo Beシートである。

それは多くの場合、コンピューターによる、コンピューターの為の

To Beであって、工場全体、会社全体のTo Beではないと言う事である。

『あるべき姿』はしばしば『To Be』と英訳される。

そこに誤りがある様だ。

 

統合の技術の1つとしての『あるべき姿』はアウンの呼吸でないと

理解されない。

過去、様々な所で発表した様に『あるべき姿』もそのうちより簡単な

型として展開されることを期待している。

 

(近藤哲夫)

第84話 なぜ一体感が生まれたのだろう

2015年11月10日

83話でセンチュリープロジェクトでは工場全員が正に

死に物狂いになって改善を推進し始めたと話した。

 特に「あるべき姿」を明示してから改善の一体感が生まれ始めた。

なぜだろう?

 始めは守谷氏が全員をうまく纏めたのだろうと思っていた。

「あるべき姿」が出て来なく、1人悶々としていた頃、

現場を歩いていると、ある職長が私に声を掛けてきた。

「次長、ちょっと聞きたいことがある。」

「何だ」

「このプロジェクトが成功しても、1人も首切りしないと聞いた。

本当ですか?」

「パートもアルバイトもクビにしないと聞いた、本当?」 

「そうだヨ。改善が成功しても作業者をクビにしたら、それは改善ではなく改悪だ、

 俺はそうだヨ。もし首切りするくらいなら、俺が会社を退職する。」

その時はそれで別れた。

多分、守谷氏が私の考えを伝えたのだろうとその時は考えていた。

 その頃は、目標も達成しかつ1人も首切りしないための「あるべき姿」を

探し求めて悶々としていたのですぐ忘れていた。

 数年前、センチュリープロジェクトの同窓会があった。

あの頃の若い技術スタッフ達は既に定年を過ぎ、殆どが白髪になっていた。

その時、この一体感が話題になった。

一番多かった意見は、

「上からの押し付けがなく、自由にやらせてくれた。」であった。

私も守谷氏も忙しく、1つ1つの改善に首を突っ込む余裕は無かったのである。

次に多かったのは、

『「このプロジェクトが失敗したら、次長は退職せざるを得なくなり、

センチュリーは名古屋で生産され、この工場は閉鎖される。」

という風評に皆が奮起した。』

これには驚いた。

色々なデマ、ルーマーが在るものだ。

それにしても、いつまでも私は彼らにとって“次長”の様だ。

 

『「あるべき姿」はどうだった?一体感の醸成に役に立ったかな?』

と私が質問すると、

「改善の方向性のすり合わせには役に立ったが、

一体感には余り役に立って無かったのでは?」

の答えが返ってきた。

 

一体感は精神的な同調がピッたり合った時に起こるものの様だ。

チームワークはあるルールに沿って起こるものであって、

一人一人の精神の同調性は期待していない。

 そう言えば、10年位前になるが、妻の病室で2人で話をしている時、

東富士工場での送別会の話になった。

その時1人の職長が妻の所に来て、

「センチュリープロジェクトの頃が懐かしい。

あの頃は次長が首にならないために、守谷さん以下全員で頑張った。」

と言ったと言う。

そして、妻は「あなたは本当に部下に恵まれているネ。」と言った。

 

 なぜ一体感という精神の同調性が生まれたのか。

現在になっても私はまだ腑に落ちない。

しかし、素晴らしい体験をさせてもらったことは感謝、感謝である。

その一体感が多くの人々が失敗すると思っていたプロジェクトを

成功へと導いたと思う。

 

(近藤哲夫)

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