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改善エッセイ

第55話 見るということ -歴史を観る眼5 橋爪大三郎 -宗教という基準で歴史を観る その1 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教-

2014年8月26日

 先日、友人数人と食事を共にした時の話題の1つがこの橋爪さんの世界観であった。

早速、彼の交詢社での講演録を送って戴き読んで見た。まずは驚いた。

切り口が私とは全く違った宗教という基準を使っていたことである。

 私はこれまで全体像を掴むのに「技術」「経済」という基準で観ていた。

広げてもせいぜい「文化」「人口」「武器」といった基準で観ていた様だ。

 宗教という切り口で世界の全体像を把握するということは、私にとって全くの予想外であり、

新鮮なものであった。

 実はシンガポールで食品の仕事をしている時、マレーシア、インドネシアに商品を売り込むのに

「ハラル」マークの取得に苦労したことがある。

その折、運転手がマレー人でイスラム教徒だったので、ほんの少しだけイスラム教について教えてもらったことがある。

 今回これまで漠然としていたコーランの教えが少しは理解出来た様に思われる。

大いに感動したので続けて橋爪氏の本を購入しすぐに読んだ。

①世界は宗教で動いている  光文社新書

②ふしぎなキリスト教   講談社現代新書

③ゆかいな仏教         サンガ新書

④おどろきの中国       講談社現代新書

非常に面白く私の蒙を開いてくれた。

 ①は慶応大学の講義録であり、②、③、④は質問に答える形になっている。

どれも面白いが、今回は①を中心に、それもキリスト教、ユダヤ教、イスラム教について私なりの受け止め方を述べてみたい。

 自分の仕事として「全体像の把握」に今日も汗をかいているつもりであるが、

今回の橋爪氏との遭遇は私にとって1つの大きな補助線を引いてもらった感じである。

 

・キリスト教について

 実は私の周りにはクリスチャンが多い。私の亡妻も短大及び勤務先がキリスト教関係の大学だったせいか、プロテスタント系の信者の友人が多く居た。

 ジョージア工科大学留学時代、大学院の友人たちとよく議論したのは「奴隷制度」についてである。

ジョージア州は奴隷制度容認の中心州であった。

 南部出身の多くは、「バイブルには奴隷制度はダメとは書いていない。だから奴隷は持っても良い。」

というのが一般的であった。

バイブルは何年ごろ出来たのか?

調べて見ると、旧約聖書が編集されたのはBC400年頃で、新約はAD397年に今の形

に編集された様である。

現代から2500年前の話である。

それも色々な関係書類を編集したものらしい。その頃は戦争に勝つと、戦利品の1つに奴隷があった事を思い出した。

2500年前は奴隷は当たり前だったのだ。

 今回の大きな補助線の1つは、「人は神から造られたモノで、神の奴隷である」

 ということである。

 私は神が大勢いる環境(日本)で育った。従って、神社には良くお参りしている。神と仲良くなることを願っている。

 所が、一神教は全く赤の他人で、そこの奴隷になるということは何故?

 橋爪氏は②の23ページに

・・・・GODの考えている通りに行動する。そうやって身の安全をはかる。・・・・安全保障のために信ずる。・・・・

また、神との「契約」とは「条約」だと思って下さい。・・・

 GODに守って下さいと頼むことと似ている。・・・・

 

・ユダヤ教

 イスラエルの人々は3000年前から、隣はエジプト、北はメソポタミアに挟まれて相当苦労し、

BC500年頃から国外脱出(ディアスポラ)が始まっていた様である。

 (ユダヤ人の歴史 R.P.シェインドリン  河出文庫)

一神教はメートル原器だなァ。神を祈るだけでなく、人々の生活規範(エートス)までも規定している。

特にイスラム教のコーランは憲法そのもので、人間は変更できない。

しかし我々日本人はグラムだけでなく、貫、尺がある。我々には多くの神が居る。

 ヤハウェは最初は戦争の神だった様だ。(②のP26)

その頃イスラエルは戦争続きで、戦争に強い神を信じざるを得なかったのだろうと思う。

 日本では八幡様も同じ戦争の神だが、一神教に成らなかったのは環境が日本の方がゆるやかだったせいかナ。

 それにしてもユダヤ人はよくいじめられていながら、今日まで生き残ったものだ。

何故生き残ったかについては橋爪氏は3通りの答え方があると言う。本を読んで下さい。

 

 次に「なぜアメリカインディアンが住んでいる所にキリスト教徒が入りこむのか」

 1620年にアメリカに入植したのはイギリスで弾圧されたピューリタンであった。

入植したニューイングランドの地には既にアメリカインディアンが住んでいた。

アメリアインディアンは狩猟民族であった。従って土地所有がなかった。

この時のピューリタンは畑を 耕す人々であった。

だから良いのだ、(その考えは面白い)とアメリカ人の多くはそう思っている。

 また、エホバはイスラエルに先住民族が居るにも関わらず、約束の地として与え、

追い払って良いと命令している。

アメリカの新天地は約束の地だ。

 (本当かナ。それでも一神教と言う1つの原器のみで行動するのは楽だなァ。)

 

 その他、アメリカの資本主義の定着(①のP112~P114)については省略する。

 ただ言える事は、初期のアメリカの資本家は慎ましく贅沢な浪費はせず貯蓄した。

それも冨を大切にせず、まず隣人に、次に自分に、そして貯蓄に回した。

今日でも教会及び慈善事業への寄付は日本に比べて多いと言われる。

 

・イスラム教

 イスラム教についてはムハンマド(モホメッド)はアッラー(エホバ)の言葉を聞いた時、

 それを書きとったのがクルアーン(コーラン)である。従って編集ではなく、

1人の預言者ムハンマドが意識を失った状態で口走ったものの様だ。

 イスラムの法はクルアーン外9種あるが、クルアーンが第一の法源と言われている。

(P138)

イスラム法はイスラム社会では憲法の様なもので、それも神が造ったもの故、

絶対に変更は出来ない。

イスラム教はすべては「-」タウヒード(唯一性)即ち、神も1つ、預言者も1人、

預言者に従う人々も共同体(ウンマ)も1つであり、これが拡がることで平和な人類共同体になることを理想としている。

 

それにしても、「ジハード」を聖戦と訳していたのが、正しくはイスラムを守る「努力」

と言うのには少し驚いた。

 

最後に、「アーメン」というのは、もともとユダヤ教のもので、キリスト教、イスラム教にも伝わった。その意味は、「その通り、異議なし」という意味だそうである。

 

今回社会の全体像を観るのに、宗教という切り口で観る事を教えてもらった。

次回は仏教、儒教について私見を述べたい。

 

(近藤 哲夫)

第54話 見るということ -歴史を観る眼4 渡辺昇一、矢沢永一

2014年8月12日

  これまで4人の眼を通した「歴史を観る眼」、その全体像の観方について、私なりの見方を提示してきた。

今回「人生を楽しむコツ」PHP出版から出された本の中の一部- 第三章歴史を学ぶ ―からお二人の歴史の全体像の

捉まえ方について、私なりに感じたことを提示する。

この本は1996年3月出版だから今から18年前である。

その頃はソ連は分解したが、米ソの2強国から米の一国強大化の時代に入ろうとした頃である。

お二人の経歴は御承知の通り、お二人とも大学教授でありながら、時期評論家として著名な方々である。

お二人とも大学教授らしく、過去の著名人の論文を基に自説を展開しておられる。

お二人の座談としてまとめられたもので、共通点が多い。

その点、お二人の考え方は似た様なものだと先ず感じられる。

従って、これから二人を別々とせずに私が感じた事を述べることにする。

①何故キリスト教を信じる国々が世界中を植民地にしたか?

 イエス・キリストは「右の頬を叩かれたら左を出せ」とか「上着を盗られたら下着を出せ」

とは言ったが、「他人の土地を奪え」とは一言も言っていない。

しかし、15世紀以後、20世紀前半までキリスト教国と言われた国々が世界を植民地化

していった。

アメリカでも同じである。「アメリカインデアンの土地を勝手に奪っているではないか?」

とジョージア工科大学院に留学中によく議論したものである。

塩野七生の「十字軍物語」を読んでみると、「英雄」と呼ばれた王様、例えばチャールズ獅

子王は、大いに戦争し、多くのアラブ人を殺している。

戦争しなかった十字軍はフリードリッヒⅡのみである。そのフリードリッヒⅡは平和交渉

しかしなかったために、「血を流さない」として、当時のローマ法王から破門を受けている。

キリストの教えを守るべきローマ法王がたとえ異教徒であっても「血を流さない」ことで

相手を叱るとは!!

19世紀から20世紀にかけて偉大な哲学者であった、O.シュペングラーは彼の著書

「西洋の没落」で以下の様に述べている。

「キリスト教がゲルマン人を改宗させたと言うよりは、ゲルマン人がキリスト教を自分た

ちの良い様に変えたのである」と。

ゲルマン人達はキリスト教に入信すると、慈悲を実行したり、弱い女性は大切にしたが、

征服欲だけは譲らなった、と2人は言っている。

これで分かった。

 

②イギリスは1832年の選挙法改正により大変化した。

  即ちビクトリアン・コンプロマイズ(Victorian Compromise)が起こり、その結果、他

国で発生したブルジョア革命がイギリスでは発生しなかった。と言う。

ビクトリアン・コンプロマイズは直訳すると-ビクトリア期の妥協-となり、意味が理解

不能になるが、一口に言うとこれまで平民だった金持ちを上院議員にし、貴族にしたこと

らしい。

現在でも歴代首相は貴族として上院議員になっている。保守党だろうと労働党だろうと、

全て貴族になる。

サッチャーもレディサッチャーになった。

即ち、貴族が平民を受け入れたのである。

 

現在、日本では国会議員定数削減が問題になっているが、これを解決するヘイセイ・コン

プロマイズはどうなんだろう?

名誉職(例えば戦前の枢密院議員の様な)+退職金2~3億という話もある。

いずれにせよ、ゲルマンのイロコイイギリス人は叡智のある民族であることに強く感ずる

次第である。

 

③文明、民族、国家の盛衰は「交通」決まる。

この考えは、私は全く同じである。全体構造を考える場合、そのキーとなる考え方が大切

である。文明、国家の興亡は堺屋太一を初め、多くの評論家(歴史学者ではなく)が指摘

している様に「交通」がキーのポイントである。

なぜ「交通」なのか?

「交通」は両者の間に生存競争が行なわれることを意味する。A国とB国が「相交通」

「貿易」を行うことは両国間で競争することになり、その結果、それぞれの文明、国家が

栄えたことは人類の歴史が示す通りである。

日本では横浜、神戸、長崎などが栄えたのは「交通の要」であるからである。

堺屋氏は、東京、名古屋、大阪は500~600年前までは泥沼で人間が住んで生活する

様な所ではなく、いわゆる“悪所”であったと言う。それが交通の要所であるため開発が

行われ現在の様な都市になった。

現在話題のハブ空港化も同様に、交通の要にしたいための施策である。

 

④歴史は文学である。

  史実は歴史か?と言うと、史実は歴史でもなんでもない。

  例えば「史記」は、司馬遷の独断と偏見で書いたものであると言う。また、「魏志倭人伝」

  も同様で、これを書いた陳寿は魏によって滅ぼされた蜀の人であり、彼は魏を亡ぼした

  晋に仕え、そこで「倭人伝」を書いたと言う。

  それは倭が朝貢に来る様になり、晋の力を見せるために書いたのではないか・・・・とも

  言われている。

  司馬遷のみではなく、ヘロドトスも自分が見聞きして、気にいったことしか書かないと言

  う。だから「史記」もヘロドトスの「歴史」も「平家物語」程度の真実しかないと思え

  ば良い、と言う。

  そうだろうな!と思う。

  人間が見たものをそのまま各、形式化すると言う事は殆ど不可能に近い。必ず書く人の

  独断と偏見が入る。

  更に、その書きモノを見た人が更に独断と偏見が入り、その人が書いたモノ、例えば新聞

  などは2重、3重の独断と偏見が入る様になる。

 

  私が一番面白かったのは中国で発生した文化大革命について、日本のA新聞は第二の革

命と言い、B新聞は権力闘争と言っていた。当時私はロサンゼルスのトヨタ事務所に居て、

同僚と「どちらが本当か?」と色々酒の話題にしていた。

40年前の話である。

 

「全体を観る」という立場で言えば③の見方が一番納得する。

 

(近藤 哲夫)

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