私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第25話  眼でみる管理 (3)― 見え難いモノの目でみる管理②

2013年5月28日

  見え難いモノについて第24話では総論的(?)な話をしたが、もう少しその中身に

  ついて掘り下げてみたい。

   企業に於いて見え難いモノと言えば、

     ①「時間」であり

     ②次は人、特に従業員の「心の状況」

  であろう。

  この2つは本人にしか解からないモノである。

  従って本人の申告によってその結果が解かるのである。

  例えば、生産現場のその工程の生産結果は、現在の日本の工場では殆ど自働的に

  カウントされている。所が、1950年代の日本の殆どの工場では、そこの工程の

  リーダー(職長・組長又は班長)に終業時間間際に聞かないと今日の成果は不明で

  あった。当時残業はその工程の長による申告で決まっていた。

  初めてトヨタの工場で「生産管理板」なるものを見たとき、正にビックリした。

  それも1時間単位で生産高の予定と実績が記入されている。

  そうすれば、今日の生産予定を残業ナシで達成するかどうかの予想が生産本部として

  ある程度当日の午前中に解かってくる。

  近年、韓国のある工場でこの方式を導入した時、生産部門のトップから

  『残業時間がコントロールされ、結果コストダウンになった』と喜ばれた。

  しかし、この様な「コントロールされた現場管理」になじまない国や企業もある。

  「自分の時間は自分のモノ」という考え方がある。

  その場合、マルクスの資本論に戻って、「賃金はその分の時間だけをコントロール

  したい相手(経営者)に渡すことの代償である」と正に幼稚な説明をした。

  反発の本当の原因は、そこの経営陣に対する不満ではあるが・・・。

 

  トヨタ方式の1つの考え方に

  「流れで仕事をする」

  というのがある。

  モノの流れがスムーズかどうかで、予定時間通りかどうかを判断するのである。

  即ち時間経過は時計が無い限り、室内では中々解からないが

  それをモノに置き換えることによって時間経過を判断出来る。

  大量生産工場でコンベヤを使うのは、物流の合理化、作業効率化以外にも

  時間の管理がそのネライである。

  また、トヨタでは「コンベヤを作業者が止めて良い」というルールがあるが

  これは何か不具合があれば機械が自働的に停止するのと同様に、コンベヤも何か

  不具合があれば停止する、いわゆる自働化の考え方である。

  これは「不良を未然に防止する」という品質管理の考え方である。

  (トヨタではこれらのコトを「機械に知恵をつける」と言っている)

  この「流れで仕事をする」という考え方を『話は解かるが…』とお茶を濁す人が多い。

  プレスとかインジェクションとか昔からロット生産を習慣化している人々にとっては

  ロット生産を流れ生産に変更することは正に驚天動地のコトらしい。

  昔、プレスの小ロット化を始めた頃、『小ロット化はプレス作業に反する』と

  訳の分らぬ反論に出会った。『大ロットこそ我が命か』とその時私も声を大にして叱った

  ものである。

  現在でこそ4000トンクラスの連続プレスがあるが、やがては1個流しの簡易プレスが

  安価で出現するであろう。

 

  「流れで仕事をする」のはホワイトカラーも同じである。大多数のホワイトカラーは

  「自分は1人で(=誰の力も借りずに)ソノ仕事を完結している」と錯覚している。

  どこまでを「ソノ仕事」と定義するかが錯覚の要因である。

  「考えるだけ」とか「字をタイプするだけ」とか「自分で企画し、自分で電話し

  自分で原案を作り、自分で会議を招集し、自分でコピーし、・・・」とか、「ソノ仕事」

  の定義の仕方で「1人か、1人でないか」が決まる。

  人間は1人では何も出来ない。 -これは人間が発生した時から遺伝子に組み込まれて

  いる(ミームとも言うらしい)と言われている。

 

  私が生産技術部部長の時、カローラの開発、生産準備、量産開始を従来の36カ月から

  24カ月に短縮する、いわゆるリードタイムの短縮という案件が発生したことは

  第7話でお話した通りである。

  このときにプロジェクトリーダーとしての私が発案したことは、

  【シリアル(トヨタではイモツギと言った-順序通り、開発が完了したら

  次に生技による諸々の生産準備、その次に量産試作、そして量産開始-)

  からパラレルへ(当時は併行作業と呼んだ-NHKの最近のニュースでは併行型と

  呼んでいるようだ)】

  であった。

  生技としてのクリテカルな作業の1つが外鈑(自動車の外側、例えばドアアウター

  フロント、リヤフェンダーなど)部品のリードタイム短縮であった。

  例えばドアアウターのプレス工程は、ブランキング(所定寸法に切断)から絞り、曲げ

  穴あけと一般的には5~6工程を必要とする。それだけの数のプレス型が必要になる。

  これを数人のチームで型図面を描くのである。その中で一番クリテカルな型は絞り型である。

  絞り角度等から担当のベテランのエンジニアを配置し、この型のみCADを実行した。

  私としては、例えばドアアウターのチームの進行状況を毎日の様に知りたい。

  そこで私がチームメンバーにお願いしたのは、各人の机の端に旗を立ててもらうことにした。

  青旗ならば計画通り、遅れ  は赤旗と言った具合に。

  私としては、時間が空いたときに赤旗をチェックし、その席に行って、エンジニアと

  話合う事等を行った。

  時間管理、特にホワイトカラーの場合、まずはリーダーが自分で考えて、自分で見て

  解かる方策を提案すべきではないかと思う。

  「上司に言われたから」と中間管理者が言い訳をする様では部下は面従腹背になる。

  「上司に言われたが自分はこう考え、こういうことをやりたい」と自分のやりたいことを

  明確に示すべきではないか。

 

  時間は目に見えない。しかし管理者としてタイムコントロールが必要になったとき

  まずは自分の考えを明確にすることが第1である。

  「生産管理板」はこの様な意味では誠に素晴らしい。

 

  次回は心の状況についてお話します。

 

  (近藤 哲夫)

第24話  眼でみる管理 (2)― 見え難いモノの目でみる管理

2013年5月14日

  製造現場を歩いていると、色々な無駄が眼に飛び込んでくる。

  一見、整理は行われている様に見える現場も、じっくり見ると、単に整列のみで

  “何の目的で整列しているか、片付けているか?”

  よく解からない現場になっている場合が非常に多い。

  その結果、「この現場はあまり儲かっていないですネ」と言うことになる。

  企業の目的は、当然のことながら、社会の一員としての責務の最大なモノとして

  従業員をリストラしない様、継続的に利益を出し続けることにある。

  リストラとか、移転は最後の決断である。

  従ってまずやるべきコトは“目的は何ですか”“何故(Why)やるか”が1である。

  現在はこのWhyが忘れられている様だ。

  その次がHowである。目的達成のための手段である。

  所が、このHowWhyの前に来ているのが現状の様だ。

  (特に韓国、中国、東南アジアに多い)

  その結果、短期の目標は達成しても、持続的に利益を出し続けることにはなっていない。

  この様な線香花火型の経営管理の方法は、現代を表すシンボルの一つかもしれないが

  早く脱皮することが望ましい。

  そして経営管理者は「自分たちの後輩に何を残すか」を真剣に考えて

  行動するトキではないかと思う。

  今、はやりのNHKの歌の一節に

    ・・・・「私はなにを 残しただろう」・・・・   というのがある。

  今こそ、まさにそのコトを考えるトキではないか。

 

  ところが、持続的に利益を出し続けることは、どこの企業でも長期計画には

  明記していても、その方策、戦略は正に抽象的で漠然としている。

  例えば“持続的発展のための経営体質の改善”とある場合

  体質が改善したかどうかは何を持って計測するか?

  経営者の勘か。

  何かの総合的指標を使うか。

 

  体質の変化は個人の場合、例えば毎日運動することによって第三者から

  「少し体形が変わったネ」とか、自分自身で「そう言えば、この冬、カゼは引かなかったナ」と

  感じる場合がある。

 

  経営体質の変化も、結果として、利益が出たので「あの会社は変わった」と

  第三者から評価される場合がある。

  (最近では利益が出ても、-あれは円安だヨ-と外部条件の変化で片付けられる場合が

  多い)

  いずれにしても第三者は結果の評価である。

 

  それでは、企業自身が企業の内部で“体質の変化”を計るモノサシを持っていないと

  この変化は把握できない。

  これは企業のみではなく、すべての組織体(非営利組織例えば官庁、NPOを含む)が

  持つことが必要条件となる。(P.F.Drucker)

 

  モノサシは例えば、従業員の人員の変化とか、来客数の変化、長期(1年以上)在庫の

  変化等、出来るだけ具体的で、そこの従業員ならばハダで感じられるモノであれば良い。

  例えば総合利益率とか○○率とか、どこかのヒマなスタッフが考えるモノである。

  これは一握りの人間しか使いモノにならない。

  その一握りの人間は小学校卒であれば、○○率という割算は自分で計算できるハズである。

  (数学の歴史に依れば、割算の方が掛算より早く人類が使用したらしい)

   いずれにせよ、○○率とか%(パーセント)とか‰(パーミル)とかはハダに感じない

  人が多い。

 

  企業体質を例にして、モノサシは出来るだけ具体的なモノで、出来るだけ多くの従業員が

  ハダで感じるモノが望ましいと説明した。

 

  少し考えて見ると、私共の周囲は例えば“体質”と言った眼に見え難いモノを

  平気で使っている場合が多い。

 

  企業内では、「彼はリーダーシップがある」とか、「彼は仕切り屋だ」とか

             「このグループはモチベーションが高い」

        等々の言葉を平気で使っている。

 

  彼は人が良かったためにリーダーになったかもしれないし、彼はたまたま誰もその会議で

  発言しなかったので進行係をやったのかもしれない。

  また、このグループはその日はたまたま何か良いことがあって、皆が喜んでいたかも

  しれない。

 

  リーダーシップとかモチベーションの測定について、最近HBR(ハーバード ビジネス

  レビュー)で1つの論文が発表されていた。

  それはあるグループの中での個人対個人のある期間の会合、話合い頻度をグラフ化した

  ものであった。

  特定の個人が他との接触頻度が高ければ、その人がリーダーシップがあると言えるのでは

  ないか・・・と言うのである。

  いずれにせよ、リーダーシップの計量化の一つの手段であろう。

 

  日本語には見え難いモノを見え易く置き換えているものが多いらしい。

  私は文学者ではないので気付くのは少ないが、それでも3つはある。

  “心”は見え難いが、“心遣い”“心配り”はその行動が見える。

  “想い”は見え難いが“想んばかる”“想いやり”の行動は見える。

  “気”は見え難いが、“気配り”の行動は見える。

   日本人は古来見え難いモノをその結果としての行動で判断したものだと思う。

 

  私にとって見えないモノは“神”“Something Great”である。

  若い頃、ある宗教家と話しあったとき、

  私が“神は見えない”と言ったら、彼曰く“突然ヒントが頭に浮かぶだろう。

  それが昇華すると神の声だ。それを感じれば、信者になれるし、感じなければ

  信者になれない”

  私は未だ鈍感である。

  だから“神秘”は感じない。“想定外”なのである。

  一時期、道元に凝って座禅したことがあるが、宗教としての座禅にはなり得なかった。

 

  神社、仏閣は好きでよく参拝するが、どうも“神秘”は感じない、鈍感である。

  あの鳥居、構造物は“神仏”と言う見えない(見え難い)モノを、如何に見え易く

  信じやすくしたTOOLだナと感心している。ブッタ、キリストがみたら何と言うだろう。

 

  蛇足 “元気”は何で見るのだろう。声か、態度か、行動か。

 

  (近藤 哲夫)

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