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改善エッセイ

第105話 人はなぜ戦争をするのか

2016年9月27日

 人はなぜ戦争をするのか

   -『ひとはなぜ戦争をするのか』(A.アインシュタイン、S.フロイド)講談社文庫

 

 今年の8月15日は71年目の敗戦記念日。

 なぜ終戦と言うのか?

 昭和20年日本本土に進駐した連合軍を始めは進駐軍と呼んだ。

 その後占領軍に呼称変更した。

 戦後71年、日本は負けたのだと殆どの日本人は知っている。

 だとすればもう一度現実を観て敗戦記念日に変えた方が良いと

 思うが、アメリカ、中国は困るだろうなァ。

 

  この本は1932年(S7)国際連盟が当時ノーベル賞を受賞し、

  “大天才”と言われた、A.アインシュタインに依頼した。

 

 「今の文明に於いて最も大事だと思われる事柄を、

  いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わして下さい。」

 

 テーマも意見交換する人もアインシュタインに委ねられた。

 

 アインシュタインが選んだテーマは“戦争”だった。

 フロイドは、当初、今日のフロンティアにある様な問題が

 選ばれるのではないか、それを物理学者と心理学者の立場から

 アプローチしていけば、最後には共通の土台に辿りつけるのでは

 ないかと思っていた様だ。

 それ故「戦争」というテーマには驚きを禁じ得なかった様だ。

 

  アインシュタインはフロイドに対し1932年7月30日に

 手紙を出している。

  この2人はユダヤ人であり、1926年にベルリンで会っていた様だ。

  1932年は、アインシュタインは53歳、フロイド76歳であった。

  アインシュタインはこの頃既に平和運動に参加していた。

  2人とも平和主義者であった。

 

  この頃の欧州は、イタリアではファシズムのムッソリーニが既に

  政権を取り、ドイツでもナチズムが大躍進をしていた。

  翌年の1933年1月にはヒットラーが首相になった。

  1932年は戦争の臭い強い、キナ臭い年であった。

 

  やがてアインシュタインは武器隠匿の容疑で家宅捜索を受ける。

  また暗殺の脅威すら感じたと言う。

  遂にはアメリカへと亡命した。

  1955年死去。

  一方フロイドも迫害を受ける。

  ナチスがオーストリアに侵攻した折に精神分析関係の書物は

  禁書になってしまう。(フロイドはウイーンに住んでいた)

  遂にはフロイドもイギリスに亡命する。

  1939年死去。

 

  この本を初めて手にした時に、なぜこの2人の巨人の書簡

  が公開されなかったのだろう? と不思議に思った。

  訳者の浅見さんは「ナチスに握りつぶされたといっても

  過言ではない。」と言っている。

  私も同感だ。

  二人の議論の往復書簡が一冊の本として日本で翻訳されたのは

  少なくとも20世紀ではなかったと思う。

  現在、言論の政府による弾圧が色々な国々で起きている。

  何でも言える、何でも書ける“自由”こそが人間の人間としての

  誇りだと信ずる。

  日本は良いなァ!

 

  アインシュタインは2つの質問をフロイドに投げかけている。

 

  ①は「人間を戦争というくびきから解き放つことが出来るか。」

  ②は「人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に

           冒されない様にする事は出来るか。」

 

  ①についてアインシュタインは自分の考えをフロイドに示している。

  それは、

  「国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に

    放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。

   そして、全ての国家が一致協力して一つの機関を造り上げ、

   その機関に国家間の司法と立法の権限を与え、国際紛争の解決を

   委ねるのです。各国家はこの機関の定めた法を守るよう義務付ける

   のです。」と。

 

  そして、他の方法では、国際的平和は望めないのではないでしょうか?

  とフロイドに問っている。

  これに対し、フロイドは「全く同感」と答えている。

  確かに、第二次世界大戦後、第一次大戦の反省から国際連盟を国際連合に

  変更し、ナチズム、軍国主義への抵抗として、より団結力のある組織にした

  はずだった。

  当初、安全保障委員会(NSC)は強い権限を持っていると思われたが、最近では

  NSCの決議に違反しても罰が厳しくないことがわかると、決議違反は余り

  気にしなくなりつつあるのではないか。

  権力闘争の場になる様では、第一次大戦後の国際連盟と同じではないか?

  日本のみが後生大事に守っている?

 

  ひどいのは国際司法裁判所の判決に少しも従わない国が出る様では、

  戦前のナチズム、ファシズム、日本軍国主義を連想する。

  かつて、日本、ドイツが実行した国連脱退が今後起こらないことをただ

  祈るのみである。

  

   アインシュタインの②の問いに対し、フロイドは数十頁にわたり自説を

   述べている。

   これは一度読まれた方が良い。

 

   解説の養老孟司さんの説は面白かった。

   フロイドは「戦争を完全に無くすためには社会が〈文化的〉にならなければ

   ならない。」と答えた。

  〈文化的〉とは何か。

   フロイドは、文化は「ヒトの心と体を変化させていく」はずだと言っている。

   養老先生は確かに「そうだ」と言う。

   文化(フロイドはこの文化の中に文明も入れている)のレベルが向上し、

   産業革命期に入ると、人口は急激に上昇する。

   これは日本をはじめ多くの国々が経験している。

   ところが資本主義につきものの景気は変動する。

   世界各国では不景気のときの受け皿が軍隊であった。

   社会制度が安定した社会では、経済が許す限り、軍隊は拡大する。

   となると、戦争へのリスクは高くなる。

   対外的な危機を誇張せざるを得なくなる。

   そうでないと軍事予算が減少する。

   文化が成熟すると避妊の考え方と医療方法が進み、出生率が低下する。

   そういった意味で中国の“一人っ子政策”は素晴らしい。

   長年の中国の歴史の知恵だろう。

   養老先生も褒めているが私も全く同感である。

 

   養老先生が次に指摘したのは“IT技術”である。

   これが2人の議論にはない。

   20世紀の初めの頃家庭的電気製品は数えるしかなかった。

   勿論スマホはなかった。

   最初の電子機器はレーダーである。(日本では電波探知機と言われる)

   それから70年以上、多くの電子機器が生まれた。

   最初のコンピューター、エニアックは大教室2つ以上の大きさがあったが、

   70年経った今日、同容量のメモリーは人間の眼でようやく見える程

  小さくなった。

   計算スピードも格段の速さになった。

   養老先生はこのパソコンとスマホに代表されるITによって日常生活が変わった。

   “新しい社会システムが創られた” と言う。

   この新しい社会システムは「アルゴリズム(計算手続き)に従って創られる」

   面が大きい。

   経済、流通、通信は既にそうなっている。

   従来の社会システムまたは世間は「自然に出来てしまった」または

   「ひとりでに出来た」感がしないでもない。

   なつかしいなァ!

   これはどちらが良いか悪いかの問題ではない。

   自分が具体的にどの部分を受け入れるかどうかの選択の問題だと思う。

   

   2人の往復書簡を読んで、改めて2人は平和主義者であることを知らされた。

   人間、自分の人生を視るとき、人生を賭けても自分の信念を貫き通すという

   2人のロマン、理想主義には正に感銘した。

   自分はこれから何を行動する?!

 

(近藤哲夫)

第104話 代表的日本人

2016年9月13日

先日(16.7.31)都知事選が行われた。

増田さん、小池さん、鳥越さんの3人の争いが中心となった。

知名度から言えば鳥越さんがトップで次に小池さんである。

増田さんは一部に知名度が高くても一般の市民は余り知らない。

 

小池さんは小泉流のカタキを作って、その仇討ちという

忠臣蔵や国定忠治の様な劇場型選挙を展開した。

実にうまい。ポピュリズムの最たるものである。

しかし、それに乗った東京都民はアワレである。

我々はトランプを支持するアメリカ市民を笑う事は出来ない。

日本もポピュリズムに陥ってしまうか?

 

ファシスト、ナチストが政権を取る時、まず取るのは

ポピュリズムである。

ポピュリズムは大衆迎合主義で、選挙に勝つためにだけ

耳障りの言葉を言い、政権を取ると全く忘れてしまう。

 

日本でもかつては「米軍基地は本土にも造る!」

「普天間基地は本土に持っていく!」と大声で叫んだ

政党が政権を取った。

正に選挙に勝つ為の有効な政策であったが、沖縄の地政学的位置

に無知であった為、アメリカにより拒絶された。

 

最近また沖縄で米軍海兵隊駐屯反対デモが一部の島民によって

行っているが、彼らの大半が公務員(役場及び学校の先生)の

定年退職者であり、若い人は余りいない。

彼らは基地負担の増額が本音である。

海兵隊の交代に日本の自衛隊が来られたらもっと困るのである。

増額要求は出来なくなるし、自衛隊員はアメリカ人の様には

お金は余りなく、外で遊ばない。

沖縄の人々は余り本音を言わない様だが、その行動は日本のある

政党よりは戦略的である。

 

小池さんはどうだろう?

彼女の政策は実にうまいの一言。

まず具体的提案を言わないということである。

正に小泉流、言っているのは「都政はブラックボックス」

とか「入園待ち児童の解消」などで、増田さんのような

「1ヶ月以内の行動プランを造る」といったマニュフェスト

は言わない。

ポピュリズムの常道である。

どこかの政党党首よりは格段に頭が良い。

しかし東京都民の1人としては本当にカナシイ。

もう少し理性のある選挙行動をしてもらいたかった。

日本は過去に2度もポピュリズムの失敗を経験した。

一度は国民全員が大政翼賛会員となって正に浮かれた。

その多くが戦後は「軍にダマサレタ」「政府にダマサレタ」

と言い訳した。

私はその頃旧制中学の1年生だったが、ある時学校の自由討議

時間のとき質問した。

「先生はよくダマサレタと言われるが、私共学生はそのダマサレタ

  先生から色々教えられている。

  今日も教科書に黒スミを付けましたが、

  これも進駐軍にダマサレタのではないですか?」

(終戦直後の教科書は軍国主義教育である箇所には黒スミで塗りつぶした)

先生は「近藤、そんな質問はするな!誰かが見張っているゾ!」

正に戦時中と少しも変わらなかった。

 

家に帰って、この話をすると長兄(旧制物理学校卒;現東京理科大)

が数冊の本を持って来て「これを読め」と言ってくれた。

その中の1冊が、

   内村鑑三 『代表的日本人』(岩波文庫)

である。

 

数日前、お茶ノ水の丸善に寄ったときに偶然この本を見付けた。

正に60数年前に読んだ本を改めて読んでみた。

60年前の記憶は殆どナイ。

あるのは5人の名前のみである。

5人とは以下の人々である。

1.西郷隆盛  - 新日本の創設者

2.上杉鷹山  - 封建領主

3.二宮尊徳  - 農民聖者

4.中江藤樹  - 村の先生

5.日蓮上人  - 仏僧

 

内村鑑三の本は“一日一生”をはじめ数冊を読んだことがある。

熱心なキリスト教者であり、日本で無教会派を設立した。

 

5人をキリスト教者の眼と日本人という眼という複眼で見ている。

先生の5人に対する評価は非常に高い。

例えば西郷は個々の政策、戦略には全く長けていなかったが、

大衆の真中に座ることによって、大衆はその方向へと自然に向いた。

いわゆる「重し」の役であったと言われている。

私は「南洲会」の一員であるが、これは少しホメ過ぎだと思う。

私が西郷を好きなのは「どんな場所でも全力を尽くす」

と言う事である。

例えば島津斉彬に登用された時は斉彬の思考をマネる

ことに全力を尽くした。

また、藤田東湖に接した時は、彼の終生の学問である

「陽明学」に心身を捧げた。

こうして、彼は成長していったと私は思っている。

最初から「重し」であったわけではないと思っている。

なお「陽明学」は明治維新の原動力の1つになった。

陽明学は正岡正篤先生にいくつかの本がある。

 

勿論、この5人は内村先生の眼を通して選ばれている。

その選択肢は私が思うところでは、まず

(Ⅰ)質素であることである。

これは5人とも共通している。

鷹山は領主でありながら、自分の身の回りはまず

倹約に率先した。

例えば着物を夏は1枚、秋冬春は1枚で過ごしたと

言われる。

それによって米沢藩の借金を0にしていった。

まずトップから率先しないと改善は進まない。

また二宮尊徳は普通の農民の倍以上率先して

働いたと言われている。

 

(2)謙譲である

謙譲は徳の中で最高の徳である。

近江聖人と言われ、熊沢蕃山を初め、子弟に恵まれた

中江藤樹は村の先生として一生、村を離れなかった。

多くの大名の誘いを全て断ったと言われる。

 

(3)信念を持っている

5人とも内面に揺るぎない信念を持っている。

これは多くの困難に向かう場合、必要条件の

1つである。

キリスト教者でありながら仏教者の日蓮を

代表者に選んだ。

 

内村先生の眼の幅広い複眼に敬意を表したい。

 

(4)女性はいない

 内村先生は選ぶ場合、風聞などに頼らず、

 明治の初期に手に入る資料に基づいて選ばれた

 ようである。

 そうなると西郷が一番新しくなる。

 

 皆様にはご一読を勧める次第。

 

(近藤哲夫)

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