私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第113話 サピエンス (3)

2017年1月24日

1.人類の統一

   農業革命以降、人間社会は次第に大きく複雑になり、

   社会秩序を維持する想像状の構造体も精巧になっていった。

   神話と虚構のお陰で、特定の方法で考え、行動し、規則を

   守る事を習慣付けられた。

   そして、このお陰で厖大な数の見ず知らずの人同士が効果的に

   協力出来る様になった。

   このネットワークは「文化」と呼ばれている。

   どの文化にも典型的な信念や規範、価値観はあり、これらは

   内部のダイナミズムによって絶えず変化している。

   人間の手による秩序は不完全であり、矛盾に満ちている。

   「文化」は絶えずその矛盾に折り合いを付けようとしている。

   この過程が変化(ダイナミズム)に弾みをつける。

 

   フランス革命以降徐々に、世界中の人々が「平等」と「個人の自由」

   の両方を根本的価値と見なす様になった。

   だがこの2つの価値はお互い相矛盾する。

   あらゆる人々が好きなように振舞う「自由」を保証したら、

   必然的に「平等」は成り立たなくなる。

   しかしこれは欠陥ではない。

   あらゆる人間の社会では今日まで矛盾に満ちていた。

   しかしそれが文化の原動力であり、想像力と活力の根源であった。

 

   人類の文化は絶えず変化している。

   この変化は方向性があるのか?

   それともランダムか?

   ハラリさんは超巨視の1000年単位でみると、小さく単純な文化が、

   より大きく複雑な文明に少しずつまとまっていったと言う。

   歴史には時に分裂がある。

   それは統一に向かう止めようも無い趨勢に反する一時的な逆転に

   過ぎないと彼は言う。

 

   今日、世界の殆どの人々が、資本主義経済、国際的権利、物理、化学等

   の言葉で話している。

   「純正」即ち同時に発展し、外部の影響を免れた純正文化は

  今日1つも存在しない。

  イタリアン料理に使うトマトソースはメキシコ原産であり、

  アイルランド料理のジャガイモはアメリカ原産である。

  西部劇のアメリカ映画でアメリカンインディアンが馬を駆ける

  シーンを見掛けるが、1492年以前にはアメリカには馬は

  いなかった。

  その分、ヨーロッパから取り入れたのである。

 

   「普遍的秩序」ホモ・サピエンスは認知革命を境に知らない人と

  日頃から協力し始めた。

  これはアリ、ハチは勿論、チンパンジーにもない特質であり、

  ホモ・サピエンスのみの例外である。

  これを可能にした考え方が「普遍的秩序」という考え方がある。

  「ホモ・サピエンスならば理解してくれる」という考え方である。

  敵、味方の二分法の考え方ではなく、全人類ならば分かってくれる

  という統一の概念である。

  普遍的秩序はBC1000年頃3つ登場した。

 

  初めに登場したのは経済的なもので「貨幣」である。

  次に政治的なもので「帝国」である。

  第3は宗教的なもので「仏教」「キリスト教」「イスラム教」などの

  「宗教」である。

 

 (1)「貨幣」の登場

 

  1519年コルテスがメキシコに侵入した。

  アステカ族はこのよそ者達が黄色い金属(金)に途方も無い

  関心を示すのに驚いた。

  アステカにとって金は加工し易い金属としか考えていなかったからである。

  アステカにおける当時の交換の媒体はカカオ豆か布であった。

  狩猟採集民には貨幣が無かった。

  よその人から手に入れる必要があるのは地元では手に入らない、貝殻、

  黒曜石、燵石(ひうちいし)などであった。

  これらは物々交換によって売買がされた。

  農業革命が起きても殆ど変化は無かった。

  やがて都市や王国が台頭し、輸送インフラが充実すると

 「専門化」の機会が生まれた。

  医師や靴職人、やがて大工、聖職者、兵士、法律家が人口密度

  の高い都市において生まれてきた。

  これら専門職への支払いは物々交換では難しい。

  そこに「貨幣」が登場する。

  場所によって異なるが、当時の貨幣はタカラガイの貝類、牛皮、

  塩、穀物、珠、布など硬貨が発明されるはるか昔から使用された。

  現在でも硬貨と紙幣は貨幣の割合としては10%以下である。

  2006年の全世界の貨幣使用量は約473兆ドル、うち硬貨と

  紙幣の合計は約47兆ドルで大半はコンピューターのサーバー上

  にだけ存在する。

 

 「貨幣」の特質

  ①長期保存

  ②保存に余り金が掛からない

  ③運搬が容易

  穀類が貨幣から消えた理由は①、②である。

  しかし初め貨幣はシュメール人の「大麦貨幣」であった。

(BC3000年頃)

④相互信頼の精度である。

 人間が考案したうちで、貨幣は最も普遍的で最も効率的な

 相互信頼の精度である。

 

 アメリカが大嫌いなあのウサマ・ビン・ラディンですら、

 ドルを使っていた。

 シュメール人の「大麦貨幣」の単位は1シラ(約1リットル)である。

 この単位によって、男の労働者は月60シラ稼いだと言われている。

 その後(BC3000年の後半)メソポタミヤで①②③を解消するために

 銀塊8.33グラム1シェケルという単位の貨幣が生まれた。

 シェケルという単位は旧約聖書にもある。

 この銀は装身具や王冠を作るときに使う同じ金属という意味で、

 その価値は純粋に文化的なものに過ぎない。

 

 しかしこれが硬貨の誕生につながった。

 硬貨の誕生、アナトリア西部のリュディアの王アリュアッテスが

 造ったと言われる。(BC640年頃)

 材料は金と銀で識別番号が記されていた。

 この記号は材料と中身の価値の保証である。

 これは今日も同様である。

 ローマ帝国でも「デナリウス」は硬貨の総称になった。

(リュディアがなまった)

 また今日のイスラム国家でも「ディナール」という名で

 硬貨が発行されている。

 

貨幣の2つの普遍的原理

  a.普遍的転換性

  貨幣は何にでも転換できる。

  土地を忠誠に、正義を健康に、暴力を知識に。

b.普遍的信頼性

  貨幣は仲介者として、どんな事業においてもどんな人同士でも

  協力できるようにする。

 あらゆるものと転換が可能であるため、信頼が個性のない

 貨幣に取って変わられ、各地の伝統や人間関係が損なわれ、

 需要と供給の冷酷な法則に取って代わったのだと言う。

 人間のコミニテーは、名誉、忠誠、道徳性や愛といった

 「値のつけられないほど重要な」ものへの信頼に基づいていた。

 これらは市場の埒外であり、お金のために売り買いされる

 べきではないものである。

 しかし今日、親が落ちぶれると子供を奴隷に売ったり、

 先祖代々の土地を売ったり、キリスト教者が人を殺したり、

 略奪したりする。

 確かにここ数百年地球を1つの経済圏に形成できたのは、

 金、銀の役割は考慮しなければならないが、

 一方で武力(暴力)の役割も決して無視できない。

 

(2)帝国の出現

  帝国とは「2つの重要な特徴を持った政治秩序である」と著者は言う。

  第1は、それぞれが文化的アイデンティティと独立の領土を

           持ったいくつもの別個の民族を支配している。

  第2は、変更可能な境界と潜在的に無尽の「欲」を持っている。

 

   第1は、旧日本帝国では大和民族、朝鮮民族、台湾民族、沖縄民

   がその土地を有し、第2は大陸進出という大いなる欲があった。

   現在では大国と呼ばれる国は帝国に相当する。

   それは政治形態とは関係ない。

   皇帝が居なくても、民主制でも成り立つ。

 

   まずこれらの定義はあいまいである。

   文化的多様性と第2の変更可能な国境にのみで定義するのはどうか?

   私にはわからない。

   また文化的多様性と固有の領土は定義によっては、1つの部落単位

   にまで細かくなる。

   例えば鹿児島と石巻では全くと言ってよいほど生活習慣が

   異なっていた。(50年位前までは)

   文化的多様性の1つは言葉である。

   その点、明治の初め、言葉の標準化に着手した役人はすごい。

   しかし、その一方で地方特有の文化は徐々に消えていった。

   現在残っているのはお祭り位しかない。(沖縄は少し残っているが)

   2つの定義から言えば、日本は明治になって帝国化したと言える。

 

  最近は、「帝国主義者」は悪の表現として使われている。

  その理由は「民族は自決件がある」というものである。

  ところが過去2500年間、「帝国」が一般的政治組織であった。

  ほとんどの人類はこの間帝国で暮らしていた。

  その間多くの固有の民族文化は消化され、やがて消えていった。

  第二次大戦後、多くの民族が独立したが、前帝国の遺物を

  消したのは韓国のみである。(40年という短い期間であったためか)

  タージマハルはムガル帝国という侵入者の遺産である。

  帝国にとって手間を省く第一集団が本土並みの「標準化」である。

  帝国内を同一の制度、習慣、規範にするために、書記の方式、

  貨幣及び度量衡を統一したのである。

  第2の手段が道路の建設である。

  これは被征服民に大きな恩恵を与える意味もあった。

 (朝鮮も台湾も鉄道建設は日本以上(?)早く進めた。1つは

   軍事目的のためでもある。)

  今日でもアメリカ人の多くは第三世界に民主主義と人権の恩恵を

  もたらす道義的義務があると主張している。

   不幸にして、帝国主義時代の標準化によって交通インフラ、法制度

   あるいはインドでは英語、フリケット、紅茶などが拡大した。

   今日の人類の殆どは個の帝国主義時代の遺産の中に生きているのである。

   今日、世界のどこにも「純正」な文化は存在しないのである。

 

   21世紀が進むにつれて、国民主義は急速に衰えている。

   人権を擁護し、全人類の利益を守ることが政治の指針であるべきだと

   考える様になってきた。

   2015年の排出ガス規制のパリ協定には50%以上の国々が

   2020年以降の各国の規制値を守るべく批准している。

   この傾向は益々進んでいく事だろう。

   一国に忠誠を尽くすか、世界(帝国)の呼び掛けに応ずるか。

   1人1人が考え行動する時が到来している。

   

(近藤哲夫)

第112話 サピエンス (2)

2017年1月10日

 ②-(2)虚構が協力を可能にした。

   サピエンスがネアンデルタールに優っていたのは

   社会的認知能力だけであった。

  

   *認知的能力:学習、記憶、意志疎通の能力

       それを社会全体としての能力を社会的認知能力と呼んでいる。

       例えば、道徳、文化、宗教、学校等による学習などである。

  

   サピエンスはおよそ7万年前から3万年前にかけて、

   ランプ、弓矢、針を発明した。

   また洞窟で発見された色々な遺物は芸術と呼んで差し支えない

   レベルのものもある。

   この前例のない偉業はサピエンスの認知的能力に起きた

   革命の産物だと考えられる。

   この7万年から3万年にかけて見られた、新しい思考と

   意志疎通の方法のことを「認知革命」と言われている。

   その原因は不明であるが、広く信じられている仮説は、

   たまたま遺伝子に突然変異が起こり、そのため脳内の配線が

   変わり、これまでにない考えや言葉が生み出されたと言う。

   (全くアダムとイブの知恵の木の実を食べたのと同じ -創世記)

 

  この時代の始めは「言葉」-動物、昆虫の鳴き声でなく、

  自分の思いを伝える -は無かった。

  「噂話」や「陰口」が利ける様になって、人間間の情報の

  やり取りが出来る様になり、より複雑な社会的システム

  に人々は協力的になって来た。

  今日でさえ、人類のコミュニケーションの大多数は、電子メール、

  電話、新聞による噂話である。

  サピエンスは7万年前に獲得した「言葉」によって、他のホモ属

  を大きく引き離したと言われている。

 

・人間が集団化する限界

  噂話による自然とまとまる集団の人数の限界は150人だそうである。

  この数以下であれば、企業、社会的ネットワーク、軍隊などでは

  お互いに顔見知りの間柄であり、組織は自然にまとまる

  150人以上になるとあるシステムを意識的に導入しないと、

  集団は分裂してしまう。

  このシステムを「虚構」と呼んでいる。

  確かに社会システムは中々目に見えない。

  これを虚構というのはネエ・・(?)。

  虚構を信じるかどうか。そう言えば昔の教科書の

  「天孫降臨」「日本は神国」を殆どの日本人は信じていたナア・・。

  私共の原罪を救うために十字架に掛けられたということを

  信じるかどうか。

  信じれば信者か?

  株式会社も同様、何が実体か?

  何を従業員に信じさせるか?

 

  太古の人類の行動パターンは何百万年も不変だったが、

  サピエンスは10~20万年の間に、社会構造、対人関係の性質、

  経済活動などを一変させることが出来た。

  これは文化活動だけでは出来ない。

  DNAの突然変異以外には考えられない、と言うのが彼の仮説である。

 

まとめ

   認知革命で発生したこと

   (新しい能力とより広範な結果は数字が対応している)

【新しい能力】

 ①ホモ・サピエンスを取り巻く環境について以前より

     大量の情報を伝える能力

 ②サピエンスの社会的関係について、以前より大量の

     情報を伝える能力

 ③部族の精霊や国民、社会、人権といった現実には存在

     しないものについての情報を伝える能力

【より広範な結果】

 ①バイソンを狩ったり、ライオンを避けたりする

     複雑な行動の計画立案と遂行

 ②最大150人からなる以前より大きくまとまりのある集団

 ③a.多数の見知らぬ数人同志の協力

     b.社会的行動の迅速な革新

 ③狩猟採集民は豊かな暮らし

    狩猟採集民は後世の農民や、肉体労働者、事務員よりも

    貧しい生活をしていたと思われがちである。

    地域ごと、季節ごとに大きく異なる暮らしをしていたが、

    最近の発見からみると、全体として現代よりも快適で実のり

    の多い生活様式を享受していた様である。

    また、現代の我々は多くの知識を浅く知っておれば、詳しくは

    其々の専門家に聞けば良い。

    従って生活必需品の大多数に関しては、何も考えずに他の

    専門家達に頼れば良い。

    専門家も同様、その知識は狭い専門分野に限られている。

    分業化によって人類全体の知識量は現代の方がはるかに多いが、

    個人のレベルでは、知識と技術の点で歴史上最大の知識を持って

    いるのは採集民であると言われている。

   

    最近の発掘では、平均的なサピエンスの脳の大きさは、

    狩猟採集時代以降縮小したという証拠がある。

    また彼らの身体や感覚(五感)は鋭敏であったと言われる。

    例えば肉体は現代のマラソン選手並みに鍛えられていた。

    観察眼も鋭く、ハチの巣、鳥の巣を素早く見つけることが出来た。

    音に対しても素早く小さな音を聞き取ることができ、

    それへの対応も早く出来た様だ。

  

    週労働時間については、現在の狩猟採集民の多い南米では、

    狩りは3日に1回で、平均すると週35~45時間しか働かない。

    アマゾン川流域では、最近は上流に行かないと良い食物が

    手に入らないが、古代は肥沃な土地が近くにあったために

    採集の時間は今より短かったに違いない。

 

    多くの場所で、手に入る食物から理想的な栄養が得られた、

    これがそれ以降何十万年にもわたって人類の常食となった。

    化石化した骨格を調べてみると、一般には子孫の農耕民よりも

    飢えたり、栄養不良が少なく、身長が高かった。

    栄養不良から守ったのは食物の多様性であった。

    農民は摂取するカロリーの大半は稲、小麦、ジャガイモといった

    単一作物に偏っている。

    平均寿命は30~40歳と低い。

    これは乳幼児の死亡が高いことを示している。

    現代の狩猟採集民の40歳の女性の平均余命は20年であり、

    人口の5~8%が60歳を超えている。

   (乳幼児の死亡率が高いことを示している)

  

    また狩猟採集民は天然痘、ハシカや結核などの感染症の

    被害が少なかった。

    これは感染症の殆どが家畜に由来するからである。

    感染症が広まったのは農業革命以降である。

    一方で狩猟採集民は小集団で動き回っていたので、

    感染症は蔓延のしようがなかった。

 

    しかし現代の南米の狩猟採集民は農民たちに容赦なく

   追い詰められ、殺されている。

   (正にホモ・サピエンスがエレクトスやネアンデルタールに

    行った様に)

 

 ④アニミズム(Animism)

    アニミズムは動植物や自然現象など万物に霊魂があるとの

    信仰で狩猟採集民では一般に信じられている信仰である。

    日本でも1950年頃まで各地で信じられていた。

   (岩手県の名は岩に大きな手形があることから名づけられた様だ)

    アニミズムは1つの具体的な宗教ではない。

    何千という異なる宗教の総称である。

    一般論としてのアニミズム信奉の説は色々あるが、

    それはあくまで仮説に過ぎないとハラリさんは言う。

   (例えば「ラスコー洞窟の壁画」15000~2万年前、

     アルゼンチンの「手の洞窟の壁画」9000年前)

 

 ⑤史上最も危険な種

    ホモ・サピエンスがアフロ・ユーラシヤ大陸から離れた島々に

    渡ったのは、

    オーストラリア  約4万5千年前

    日本            約3万5千年前

    台湾            約3万年前

    である。

    特にオーストラリアへは大型哺乳動物としては

    ホモが始めである。

    渡航には色々な説があるが、1つはその頃、地球は氷河期に

    入っており、大陸と島々が氷でつながり、渡れる様になって

    いたという説と舟と航海術を既に持っていたという説がある。

   

    ホモ属がそれらの島々に住み着けるのと反対に大型の動植物

    が姿を消した。

    例えばオーストラリアでは体重50kg以上の動植物24種の内で

    23種が食物連鎖を断ち切られ、わずか数千年の内に姿を消した。

    すべてがホモ種のせいでないかも知れない。

     しかし気候変動による大量消失は考えにくい。

     例えば氷河期は10万年に1度は現れるが、オーストラリア原種

     の大型動物は殆どが100万年も前に出現していて、

    10回の氷河期を切り抜けている。

    また陸上動物が大量消失を受けると、海洋動物も同時に

    消失するが、その証拠がないのである。

    最も大きな理由はホモ・サピエンスが住みつくたびに大絶滅が

    起きている。

    例えばニュージーランドでは800年前にマリオ仁が上陸すると

    200年の間に大型動物相の大半が絶滅した。

    マンモスも同じである。

 

    確かに気候の大変動による大量消失はあり得る仮説であるが、

    ホモ・サピエンスの上陸によって、仮に焼き畑農業を知っていたと

   すれば、それ以上に大量消失は免れない。

   最近話題になっているマグロもクジラ、イルカと同様、規制を

   厳しくしなければ、マンモスやオオナマケモノと同様に地球から

   消えていくのではないかと言われている。

 

(近藤哲夫)

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