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改善エッセイ

第99話 歴史に学ぶ -2

2016年6月21日

 「科学史にウイッグ史観は有効か?

   - ワインバークの“科学の発見”を読んで」

 

 この本は日本語に翻訳される前から歴史学者から非難された。

 いわゆるウイッグ史観の確信犯としてアリストテレス、

 フランシス ベーコン、ルネ デカルト等を一刀両断に切り捨てている。

 その評価方法は、

 「科学はたまたま成し遂げられた様々な発明の歴史として

  あるわけではなく、自然の在り様こそが科学の在り様を決める。」

 

 即ち、歴史に於いてしばしば起こる勝者、敗者の交代とは

 質的に異なると指摘している。

 自然界の仕組みを理解しようとして、より合理的にアプローチ

 する方法がどの様に発見されたかを理解することに意義がある

 としている。

 この合理的アプローチは、システムアプローチとも言われ、

 多くの人に納得してもらう為に、数式の利用が一般的である。

 

 確かにこれまでの私が読んだ科学史のテキストは発明、発見

 の歴史が大半であった。

 大切なのは、

  なぜそのアイデアが生まれたか?

 である。

 多くは個人の資質によるものだったが・・・。

 

 ウイッグ史観は「勝者が自己を正当化するための歴史」

 として、歴史学の世界では禁じ手だそうである。

 例えば、ヒロシマの原爆投下は「戦争を止めさせるのに正当行為」

 と戦後は言われ続けていた。正にウイッグ史観である。

 しかし、今日アメリカの若い人々の中に、その正当性を疑う

 人々が増加している様である。

 

 また、現政府がウイッグ史観である場合、過去の歴史を拡大解釈

 するケースが多い。

 例えば「八紘一字のもと、我が日本が長子として皆を指導する」とか

 または「この海域は有史以来我が国の海域」とか。

 

 この本“科学の発見”、原名は“To Explain The World”である。

 著者はSteven Weinberg 1933年 アメリカ生まれの理論物理学者

 1979年ノーベル物理学賞を受賞。

 

 この本の面白さは歴史上の有名人をコテンパンにやっつける所である。

 これはこの本がアメリカで出版された時から問題になった。

 例えば、

 ルネ デカルトは、私は近代合理主義の父として教えられたが、

 ワインバーグによれば、

 「ベーコンより特筆すべき人物であるが、信頼出来る知識の

   真の探求法を見付けたと主張している。

   人物にしては、自然に関するデカルトの見解は間違いが多過ぎる

   のである。例えば、『極と極を通る周囲長は赤道の周囲長より

   長い』とか、『真空状態はあり得ない』とかの間違いがある。

   その他『松果体は人間の意識を司る魂の座である』というもの

   もある。」(267~268頁)

 

 一方で、デカルトの功績は、「哲学よりも数学、光学、気象学にあり」

としている。解析幾何を発展させ、今日我々が使用するX、Y座標は

「デカルト座標」と呼ばれている。

 

この本のもう1つの面白さは“問題を解く”所にあると私は感じた。

35の問題があり、中にはむかし解いた問題もあった。

(ピタゴラスの定理)

 

科学史にウイッグ史観は有効かどうか私にはわからない。

私が現役の頃なら、現在の多くの科学者と同様“有効”

と思うかもしれない。

しかし、歴史はもっと真実にせまるべきだと思うと、ウイッグ史観は

どうしても勝者の歴史になってしまう。

 

読了してまず思ったのは、私より1つ年下のワインバーグが82歳に

なっても若々しい頭脳を持っているということであった。

 

私ももっと若々しい脳でありたい。

 

(近藤哲夫)

第98話 歴史に学ぶ -1

2016年6月07日

  佐藤優氏の「世界史の極意」(NHK出版新書)は今日の世界情勢を

  理解するのに、いくつかのキーワードを使って説明していた。

  そのキーワードはそんなに理解し難いものでなく、私を含めた

  多くの人々に受け入れられるであろうと思う。

  勿論、そのキーワードは私が選択したものであるから、私の

  個人の責任である。

  多くの人々に受け入れられるとは、1月に発売して2、3ヶ月で

  13万部突破! とある。

  この数字の真偽は別としても、本屋で売れていることは確かな様だ。

 

  1.「歴史は繰り返す」

  昔、学生の頃、「歴史は繰り返す」のかそれとも「歴史は進歩する」

  のか議論したものである。

  「歴史は進歩する」というのは資本主義から社会主義、そして

  共産主義へと人類は進歩し、やがては全ての人々が幸福になる

  という考え方であり、多くの学生はこれにかぶれたものである。

  なにしろ昭和20年代の後半の時代であり、喰うものは

  「外食券」というチケットを持って行かないと、食堂では食べ

  られない時代であった。

  朝鮮戦争という悲劇は、日本にとっては千載一遇の良きチャンス

  となり、鉄鋼をはじめ多くの企業、工場が活気づき始めた時代

  でもあった。

 

  「歴史(日本の敗戦の歴史)は2度と繰り返したくない!」

  これが当時の日本人の大多数の考えであったと思う。

  それよりも「歴史は進歩する!」

  今日の一杯の飯よりも明日の三杯の飯を喰いたい!

  これが当時の多くの若者の気持ちだった。

  特に多くの大学生はそうであった。

 

  佐藤氏はこの「歴史は繰り返す」というアナロジー(類推)を使って、

  この本の中で説明している。

  例えば、今日の世界を「新・帝国主義」の時代と定義し、

  それは「旧帝国主義の時代」(1870晋仏戦争~ロシア革命1917)

   のアナロジーとして比較している。

   しかし、この本の中で一番驚き、同感したのは

  「スコットランド独立」問題と今日の「沖縄問題」のアナロジーである。

  多くの日本人(私を含め)は「沖縄問題」を歴史問題として把握して

  いないのではないか。(私がそうだった)

  1600年代の薩摩藩の侵略から1879年の廃藩置県の明治政府の

  やり方までを見ると、スコットランドの歴史を多少かじった私にとって

  は、沖縄との類似は全く驚きであった。

  今日のスコットランド独立は心情的には賛同するが、英国全体を見ると

  北海油田、原子力潜水艦基地等、多くの解決困難な問題がある。

  これをどうするのだろう?

 

  アナロジーといえば、歴史学者アーノルド トインビーを想い出す。

  日本が満州国を独立させた頃(昭和初めの頃)、A.トインビーが

  来日していて、ある歴史学者に言ったという。

  「日本は昔のカルタゴと同じだ。やがては他国との利害関係は悪化し

  戦争になる。」と。

  この話を30数年前に聞いた時、「歴史学者はアナロジーによって

  その出来ごとの本質を掴むのか」と思った。

 

  考えて見ると、私の思考も、実験もアナロジーの試行錯誤の連続である。

  人類はまだ未熟、アナロジーによって成長していくか!

 

2.ゲシヒテ(Geschichte)とヒストリー(Historie)

  両方ともドイツ語である。

 ゲシヒテは「歴史上の出来事の連鎖は必ず意味がある」というスタンス

 で記述する。

 例えば、歴史とは啓蒙によって高みへと発展していくプロセスであると

 いう視点で記述される。

 従って国家のチェックが入ると、国としての主張がはっきりと出てくる

 のは当然である。

 一方、ヒストリーは年代順に出来ごとを客観的に記述する編年体である。

 そこには歴史の躍動感は感じられない。

 日本の歴史教科書は殆どが編年体だそうである。

 中・高の頃を思い出すと、殆どが年表を記憶するのみであった。

 全く無味乾燥な授業しか記憶にない。

 しかし年号は今日でも覚えている。

 

 佐藤さんは中学生の歴史教科書の日本、ロシア、英国の比較を行って

 いて、これが面白い。

 ロシアは政府の主張を明確に取り入れている。

 いわゆるゲシヒテである。

 英国はロシアとは正反対のスタンスである。

 サブタイトルにもある様に英国帝国の失敗の歴史に重点が置かれている。

 一度読んでみたいものである。

 イギリス帝国経営の失敗とは、アメリカ植民地経営の失敗があるが、

 これをテキストに使うとは、正に自国民への信頼の深さを感ずる。

 日本で大東亜戦争の失敗をテキストに、それもゲシヒテとして使用

 するかなァ?

 例えばシンガポール陥落のときの日本の山下将軍とイギリスの将軍の

 会談は、シンガポールでは堂々と見せているが、これを日本のテキスト

 に使用する位の度量が今日の政治家にあるだろうか?

 

3.「クロノス」と「カイロス」

 これはギリシヤ語だそうだ。

 「クロノス」は日々、流れていく時間のことで、年表や時系列で表さ

 れる時間である。

 英語のクロックのもとの言葉だと思う。

 一方「カイロス」とは、ある出来ごとが起こる前と後では意味が異なる

様な、クロノスを切断する時間のことである。

英語ではTiming(時期)に相当する言葉だそうである。

この前のスコットランドの独立を問う住民投票は、イギリス人にとって

は大した意識はなかったが、スコットランド人にとっては、過去の苦渋

の記憶が甦る様なカイロスとなったと言われている。

一方イギリス人が「いつの間にか支配者になった」と、ぼんやりと考えて

いる様では、スコットランド問題は機能不全になるだろうと言われている。

これは沖縄問題と全く同じである。

沖縄問題は別稿で取り上げることにする。

 

(近藤哲夫)

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