私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第81話 そのデータはドチラが本当か?

2015年9月22日

 先日2冊の本を本屋で見付けて読んで見た。

『統計の9割はウソ』竹内薫著   徳間書店

この本は既に80年以上昔から言われている、いわゆる数字でゴマカス類の本の仲間である。

これまでのこの種の本の多くの例題はアメリカのものが多く、日本の例は数が少なかった。

この本は全てが日本の最近の例題である。これには気に入った。いずれこのエッセイで私見を述べたい。

 

 2冊目は

『21世紀の日本最強論』文芸春秋編   文芸春秋

この本は多いに頷くところと、首を傾げるところがありで面白かった。

A. 21世紀の「坂の上の雲」 橘玲  P187~P202

 橘さんが出している『世界幸福地図』2010年~2012年 エイドリアン・ホワイト

では、北欧、アングロサクソンが上位で、アジアはシンガポールが30位、韓国41位、

日本43位、中国93位になっている。

評価項目は健康、冨、教育だそうだ。

また、国連のレポートでは「先進国度」は、日本はシンガポール、香港、韓国を下回る

17位(2014年)。

これまで私を含めた多くの人々はこのデータはお笑いの1コマと受け取っていた。

即ち、アングロサクソンによるゲルマン流のゲルマンによる幸福と。

過去の侵略によって財を作り、それによって現在の富を作ったゲルマン流の「幸福」の

考え方を笑って否定していた。

しかし、橘さんが言う様に「日本にはまだまだ可能性がある。坂の上の雲がある」と

ポジティブに考えるべきという提案は多いに賛同する。

まして日本には北欧が現在陥っている人手不足がやがて来る。女性管理者、女性作業者

は必然的に増加する。

今日も女性管理者を30%にするシバリを法制化する、しないで議論になっているが、

私は、シバリは無いより有った方が良いと思っている。日本の経営者はシバリがあると

ガンバルからである。

 

B.衝撃の国連レポート「世界一豊かな日本」福島清孝

 これによると『1人当たりの総合的な豊かさ』2012年では、

 1位 日本      435,466(百万$)    4,354億6600万ドル

 2位 アメリカ  386,351

 3位 カナダ

   ・

   ・

   ・

 17位 中国

用いられた指標は

(1)人的資本:年齢別人口、死亡率、金利、雇用、教育実績、賃金、性別労働人口

                の7項目

(2)生産した資本 :投資額、減価償却率、資金の寿命、生産高の延び率、人口、生産性

                     の6項目

(3)天然資本 :化石燃料、鉱物資源、農業用地、森林資源、漁業資源の5項目

(4)健康資本 :年齢別人口、年齢別死亡率、寿命、金利の4項目

総合的な豊かさ指数関わるもの :全要素生産性、炭素排出による被害、石油の資本利得

これは2011年の国連総会において、GDP(国内総生産)に代わる新しい統計を国連で

開発すべきの決議により、2012年に発表された。データは2008年の数値で米ドル

表示である。

 

データとしては、今日としては少し古いが、傾向としては変わらないと仮定して議論を進めたい。

①幸福と豊かさに関係はあるか?

 昨今の日経新聞では「幸福の経済学」の講座が数回記載された。幸福と経済学は余り関係

 はない様に思ったので一応読んでみた。

 結論はよく分からないのである。

 豊かさは定義によって計量可能である。

 幸福は計量化出来るか?

 幸福には「外部からのシグナル」をある種のHappiness指標(もし在るとすれば)を感知

するとすれば、その結果「幸福感」が生まれる。

この場合、例えば給料が上がった、「うれしい」とすれば計量化は可能かもしれない。

「給料が上がる」のは「豊かさ」の尺度になるだろう。

 しかし、人間にはもう1つの幸福がある。即ちヒラメキである。難問に悩んでいるとき、

突然ヒラメク場合がある。

アルキメデスはフロに入っている時に、浮力の原理がヒラメキ、喜びの余り、裸のまま

飛び出し「ユーレカ!」と叫んで町中を駆けた、という話がある。

 私も突然のヒラメキで問題を解き、幸福をエンジョイしたことがある。

この場合、豊かさと幸福は無関係ではないか?

 

②「幸福」は相対的なものではないか?

 給料が上がった場合でも、友人と比較して高ければ満足し、幸福感は満たされるが、低い

 場合は幸福感はむしろ減少してしまうと思われる。

 また、ブータン人はブータンに居れば全くHappyと感じるらしいが、日本に来ると給料

 も安く、周囲にもHappyなものはなく、幸福感は味わえないと言う話を聞いたことがある。

 勿論、給料はブータンに居た時よりも日本の方が高いということの様だ。

 ブータンでの周囲の人間関係、周囲の自然環境の中では安心感、満足感がある。

 その中での生活、即ちゲマインシャフトの人間集団の中での生活はハツラツと生きている

 と思われる。

 一方、日本ではそのような人間関係は存在しない。あるのは都会の契約社会の中での生活、

 全くギスギスとした生活になるナア。

 しかしこれがゲゼルシャフトの人間集団なのである。

 

③「幸福」は時間が短い、「冨」は長い。

 幸福な時間は比較的に短い。例えば新婚時代を考えればいつまでもは続かない。

 一方「冨」は相続出来るほど長い。

 

④宗教を信じる人は「幸福感」を自分の内面から感じている様である。

 「冨」を全て教会に寄付しても、その行為と信教によって「幸福」になれるものらしい。

 または「幸福」だから寄付行為が行えるかもしれない。こうなると「幸福」は

 OUTPUTではなくINPUTになる様だ。

 

ゲルマン民族は貧しい為に略奪することで生き延びてきた。

従って、

   幸福=α×豊かさ

 α:係数

の式が生活習慣の中に生まれたのも不思議ではない。

一方東アジアは、土地は肥え、気候は温暖で、食物は自然によって豊富に与えられ、人口も

増えた。

そうすると「幸福」は外部から与えられるものではなく、人間は内部から湧き出すものと捉えられてきた。

仏教は正に自ずから覚ることによって「幸福」を味わったのである。

 

21世紀は20世紀の何でもありの新自由主義から分かれを告げ、自ずから幸福を悟る方向

へと向かうのではないか、愛国主義ではなく愛郷主義へと変わっていくのではないかと思う。

 

(近藤哲夫)

第80話 歴史認識について -7

2015年9月08日

  正しい歴史認識とは?

 2013年5月パク大統領が訪米し、オバマ大統領や議会で「正しい歴史認識」を

連発した。いわゆる「告げ口」外交と言われるものである。

 あらゆる国は「現在それなりの正しい歴史認識」を持って政策を実施している。それが

外国から「独裁」と言われようと何と言われようと、自分達にとっては(又は独裁者にとっては)

「正しい」と信じているから実行しているのである、と思っている。

 歴史認識はこれまで述べてきた様にCMTコンプレックスの土台の上に成り立っている。

CMTは各国、各町で異なるのは当然である。すべてが「正しい」のである。

 にもかかわらずなぜ「正しい歴史認識」を繰り返すのだろう?

韓国で仕事をしていると「正しい答えを教えてください」とよく言われた。「オルバルン」

と言うそうだ。

私は「自分で考えなさい」とまず言って、「長期で見ると人間には正しいことはわからない。

この瞬間の正しい答えはこれだ。しかし明日は正しくないかもしれない」と言うことにしていた。

 なぜ「正しい」ことに固執するのだろう?

『韓国「反日」の真相』(沢田克己著 文春新書)によると、これは韓国人の1つの特質の様だ。

小此木さんによると(『韓国「反日」の真相』P50)、

近世までの朝鮮は経済的にも豊かではなく、軍事的にも強大ではなかった。儒教文明の強い

影響下におかれたこともあり、「何が正しいか」の名分論で正当性を主張するしかなかった。

力ではかなわないから、論理的に反論する以外に方法がなかった

 

韓国では道徳が上位にある。法律はその下だ。だから憲法違反が多い。その時の道徳で変わる。

哲人政治が、だから理想になる。

韓国は中国文明の優等生であることをずっと目指してきた。

「儒教的観点から見て何が正しいか」が重要で、それを正されないといけないと考えている。

日本人は「約束を守る」というサムライの文化

韓国人は「正しい」ことはそれが正されるまで言い続ける文人文化

である。

パク・チョンヒ、チョンドハンなどの軍人政治は「正しくなかった」ので教科書では批判されている。

 

また、パク・クネ政権の特徴として(『韓国「反日」の真相』P55)

「国益などの損得勘定ではなく、道徳的基準を持ち出して政策の正当化を図る」

これは自分達が絶対正しく交渉の余地はないと思っている様である。

 

日本は一度結んだ条約はたとえ不平等であってもまずは守る。

しかし韓国は現在の道徳のルールで正しくなければ、何度も自分達の

正しい方向へと修正させる様ネバル。

それが国内でも同じ様だ。政府が正しくなければ自分達の正しい方向へと

 政府を変えさせるパワーを持っている様だ。

韓国政府が慰安婦問題で日本に抽象的に謝罪を求めるのみで、具体的提案がなされない

理由の1つに、1990年に結成された韓国挺身隊問題対策協議会の存在がある様だ。

これはNPOながら「歴史の清算」を唄っている。

政府はこれらのNPOをコントロール出来ていない様である。

 

『韓国「反日」の真相』の文献には面白いことが多く書かれているが、

私が日本人との比較で同感する主なものは次の2つである。

(1)日本人の嫌韓は国も文化も韓流も全てが嫌になる。

韓国人の嫌日は、国は嫌い、しかし食事、歌、映画などの文化は大好き。トヨタ車、

マイルドセブン、日本酒は販売が増加している。

対日不買運動は1日だけのお祭り。

(2)日本人は批判されることを嫌がる。

      韓国人は批判されることは問題にしない。

      認めてもらえないことへの不安が強い。

 

国際美容外科学会の2011年の美容整形手術件数の調査では、韓国が131件とダントツの1位、

日本は75件。しかし人口比では日本の4倍。

韓国で長く仕事をしていると日本商品には少ない韓国商品の良さが目につく。

1つは外観の良さである。デザインは綺麗である。色彩も良い。日本商品は外観よりも品質、

耐久性など中身にこだわる。韓国ではまずは認めてもらう為に外観にこだわる。

認めてもらうためには外部の変化には日本以上に敏感に対応する。

例えば慰安婦問題では、日本は既に解決済みとしているが韓国では2000年頃からアメリカで

盛んになった女性の人権問題に便乗して、慰安婦問題を女性の人権問題として

今日の問題化とし、国際化を意図した様だ。

日本の、特に男性社会の政府はドンカンだった様だ。

日本人は他人に認められなくてもどちらかと言えば軽い気持ちになるが、韓国人は

中米の間に生きる小国として歴史的にこれしかなかったと感じると本当に哀しくなる。

 

 最後に日本に対してなぜこの様な道徳的アプローチを持ち出すかについて私見を述べて見たい。

数年前、百済が573年頃日本に漢字を伝えた五博士の1人ワニ博士の故郷を訪問したことがある。

山の中腹には立派な博物館があり、入口には日本に送ったという千人千文字の像

が立っていた。

日本人は団体以外では私が初めてだった様だ。案内説明は日本語と英語であった。

説明の端々に

「我々韓国人が文字という文化を日本人に教えた」

というプライドがにじみ出ていた。

また、中国文明の世界でも韓国は「小中華」と言われるほど優等生で中国皇帝に対する

冊封(さくほう)も上位であった。

一方日本は倭(こびと)という野蛮国であった。(冊封もされなかった)

従って近代以前は、韓国人は日本人より文化的にも上というプライドがあり、

新しい文化を教える立場にあるというプライドがあった。

 日本による植民地化はこのプライドを底に沈めることになった。

1945年8月15日はこの沈んだプライドの爆発の時でもあった。

しかし時は東西冷戦の時代、韓国はアメリカと日本という2つの窓口しかなかった。

日本を頼ったのは当然の流れであり、パク・チョンヒ大統領は仕方なく日韓条約を結んだ。

しかしこのことは今日の「正しさ」の判断から言えば間違いである、日韓条約は修正される

べきであるという世論に現在なっている。日本人は一度結んだ条約であり、その条約の

恩恵は十分に受けているのではないかと考えがちである。

(この条約により高速道路と住宅の建設が韓国で行われた)

しかし韓国人は「経済問題以上に道徳的正さが優先」するのである。

それが韓国人のプライドであり、トラウマである。

冷戦後、窓口も広がった。日本に頼ることもないだろうという意見は多い。

だから強く出ても大丈夫だと思っている。

 

対中国では、韓国人の対中国観は一言で言うと

「こわい」

のである。

『哀しき半島国家 韓国の結末』の宮家さんは外交官らしく地政学的見地から

イラクに似ていると言っている。ただ違いは、イラクは交通の要所、

韓国は行き停まり廊下と見ている。

それにしても廊下には大勢が通る。中国軍隊、蛮族の往来が激しかったのだろう。

 韓国は中国と冊封関係(中国の属国と見なしている)を結ばざるを得なかったと思う。

中国は韓国を征服しても統治はしなかった。(コストが高いと見ていた様だ)

韓国は中国との冊封関係をより強くする為に、儒教を積極的に取り入れ「小中華思想」を

作り、両班による文民政治をすすめた。一方コンプレックスも高まった、この劣等感が

「事大主義」を生み、一方では日本などの蛮国に対する優越感になった。

事大主義とは「はっきり自分の主義、定見が無く、ただ勢力の強いものにつき従う」行動様式である。

2000年も昔から、漢、唐、明、清に朝貢し、冊封を受けている。

20世紀はアメリカに、最近は中国?ということになるか?!

 

 韓国にはチャイナタウンは余り見ない。少なくともソウルにはない様だ。

世界どこにでもあるのに韓国にないとは!

酒を飲みながら聞くと、事大主義のコンプレックスがにじみ出てくる。

 

(近藤哲夫)

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